航海日誌

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 39回航海

2002.10.23
パレンケの若者たち
2002.10.20
キューバの路地裏の少年たち
2002.10.15
第2回「蹴球祭」
2002.10.11
ラスパルマス: 本気のサッカー
2002.10.06
マルセイユ: サッカークラブ
2002.10.01
トルコサッカー
2002.09.23
マッサワ: ピースボール発祥地
2002.09.21
ペットボトルサッカー教室
2002.09.16
コーチン: サッカー交流
2002.09.14
サッカー大会「蹴球祭」
2002.09.10
フィリピン・パヤタス地区
2002.09.09
マニラ北東部: 子どもたち歓迎
2002.09.06
ほのぼのサッカー

 
  2002年10月23日 カルタヘナ/コロンビア: パレンケの若者たち

かのノーベル文学賞受賞作家ガルシア・マルケスが「世界でいちばん美しい街」と讃えた旧市街を持ついっぽうで、国内紛争、麻薬問題、貧富の差…など、多くの問題を抱える一面もある。そしてサッカーファンならばやはり「行ってみたい」国のひとつ。
10月23日、オリビア号は南米・コロンビアのカルタヘナに寄港した。

ブラジル、アルゼンチンといった世界的に有名なサッカーの「強豪国」に囲まれているだけのこともあり、コロンビアでもやはりサッカーは盛ん、そしてそれらの国に一歩も引けを取らないくらい強い。
開催国ともなった2001年の南米選手権では見事優勝を果たしている。また、ブラジルやアルゼンチン、欧州のトップクラブで活躍するコロンビア人選手も少なくない。事実、昨年・一昨年と2年連続でトヨタカップに出場した、メキシコの「ボカ・ジュニアーズ」の主要メンバーにも、4人のコロンビア選手がいたのだ。

僕らがサッカー交流をもったのは「アヨロ・デ・ピエドラ」という「パレンケ」の若者たち。ここでこの「パレンケ」について説明しなければならない。
僕たちが寄港したカルタヘナが港町としての歴史を刻み始めたのは1533年。この地に上陸したスペイン人たちが、ここで手に入れた莫大な財宝をカルタヘナの港から「本国」に送り出した。そして、それと入れ替わりにやってきたのが無数の黒人奴隷たち。カルタヘナは奴隷たちの「受け入れ港」のひとつでもあった。
石造りの建物が並ぶ美しい旧市街や、街をぐるりと囲む全長4kmにもおよぶ城壁――ユネスコの世界遺産にも登録されるこの街を築いたのは、数十万人にも及ぶ黒人奴隷たちだ。
過酷な労働を強いられる奴隷たち、そんな中、奴隷労働を逃れ、自分たちの手で自由をつかんだ黒人奴隷たちのグループが生まれる。それが「パレンケ」だ。最初は、街の郊外に小さなグループを作って隠れ住んでいたが、やがてひとつの「村」ともいうべき大きなコミュニティになっていったという。彼らはそこで家畜を飼い、作物を育て、生活を営んだ。もちろん、スペインによる「連れ戻し」もあった。彼らはそれに対抗し、団結し、1713年、ついに「パレンケ」の独立を認めさせたのだ。
僕らの交流相手はその「パレンケ」の末裔たち。「アヨロ・デ・ピエドラ」は、そのコミュニティの名前、いわば「村名」である。

コロンビアでのサッカー交流僕らの試合相手となったのは「パレンケ」の18歳から24歳の若者たちで構成される、村のサッカーチーム。僕らが行くとまず「監督」だと名乗る男性が出てきた。「6月のW杯で日本はとても強かった。今日は日本人とサッカーができるということで、すごく楽しみにしているよ」と意味深な笑みを浮かべて語る。これは負けられない…と、気合いを入れ直しグラウンドへ。
「グラウンド」だと案内された場所へ行ってびっくり。「グラウンド」はでこぼこで、石ころだらけ。よく見ると、ガラスの破片なんかも落ちている。ゴールは木枠に網がかかっているだけ、角度によってはボールが通り抜けてしまう。そしてさらに、何だか巨大な物体が転がっている。何かと思いながら触っていると、対戦相手の若者曰く「それは牛の骨、頭蓋骨だよ」………頭蓋骨!?確かに言われてみれば、牛の頭のカタチをしている。

トコロ変わればグラウンドだって変わる。とにかく僕らはサッカーをしに来たんだ。…と気分を立て直しつつ、相手の練習風景を眺める。身体はそんなに大きくもなく、僕ら日本人とそんなに変わらない。練習の様子を見ても、ボールさばきもあんまり上手くない。意地悪くも「これなら勝てる!」と僕は思ったわけだが…甘かった。
牛の骨転がるグラウンドをとにかく走る。そして早い。同じ場所からボールを追いかけていてもあっという間に抜かれる。そして…走る、走る、走る。35分ハーフで計70分間、彼らは本当に「走りっぱなし」だったのだ。僕らのほとんどはサッカー経験者。中には「体力には自身アリ」と豪語していた者だっている。しかし、いくら何でもあれは走りすぎ。「あんなに体力のある人間を初めて見た」というのが僕の率直な感想だ。
結果はもちろん僕らの負け。4-5と僅差だったことはせめてもの救いかも知れない。試合終了直後の僕らと言えば、彼らの「走り」に振り回されたおかげで、情けないくらいに「グロッキー」だったのだから。

その後はボールの贈呈式。現地で、経済的に貧しい黒人コミュニティの支援活動をおこなっているNGO「CPEDDLCN(Corporacion para el desarrollo de las comunidades negras)」にサッカーボール220個を届けた。

パレンケの若者交流試合とボールの贈呈を終え、交流相手でもあった若者たちとご飯を食べていたところ、先の「監督」からユニフォームの交換の申し出があった。これまでいくつかの寄港地でサッカー交流をしてきたが、こんな申し出があったのは初めてだ。僕がユニフォームを交換したのは背番号15をつける21歳の青年。彼は「このユニフォーム、大事にしてくれよ」と言いながら、「最高」の笑顔を僕に向けてくれた。

僕らにとっては、このクルーズ中「最悪」のグラウンドで試合をすることになったコロンビア。でも、サッカーをするのに整ったグラウンドなんてなくてもいい。ボールひとつあればいい。共にひとつのボールを蹴れば、コトバなんか通じなくても仲良くなれる――そんな僕らの活動の「根本」を思い出させてくれるような素晴らしい交流だった。
交換してもらった緑のユニフォームを見ると、あの「最悪」のグラウンドと「最高」の笑顔を思い出す。このユニフォームは、僕にとって最高のお土産となった。(PEACE BALL project スタッフ: 岡部直樹)