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世界が拡がった100年

 いまから600年前。15世紀のヨーロッパの人々は、現代とは全く違う世界観の中で生きていました。たとえば世界は球体ではなく、平らだと思っている人も少なからずいました。また、宇宙の中心に地球があって、星や太陽はその周りを回っている天動説が常識でした。具体的にはどんな形の世界を想像していたのでしょうか。それを知るには、紀元2世紀に生きたギリシャの地理学者プトレマイオスの世界観が参考になります。15世紀当時のヨーロッパでは、プトレマイオスの世界観に基づいた世界図が多く描かれています。つまり、この頃のヨーロッパ人たちの頭の中にあった「世界」は、この世界図を見ると想像することができるのです。

プトレマイオスの世界図 プトレマイオスの世界図

 この世界図を見ると、ヨーロッパ近辺は比較的詳細に描かれていますが、東方はかなりいいかげんです。アフリカの南がそのまま未知の大陸を通じてアジアとつながっており、インド洋が内海として描かれていることもわかります。アフリカ大陸西岸の南には、怪物が現れたり海が沸騰したりしている危険な海域があると考えられており、その恐怖を乗り越えて航海する船はありませんでした。15世紀になって、航海術や造船技術の発達によって長期航海が可能になると、後に航海王子と呼ばれるようになるポルトガル王子エンリケはアフリカの南への航海を画策します。40年の歳月をかけて何度も航海者を送り、恐怖の海を乗り越え、少しずつ南へ南へと航路を伸ばしていきました。そして、エンリケ航海王子の死後30年近くたった1488年、ポルトガルの航海士、バーソロミュー・ディアスがついにアフリカの南端を発見することになりました。当時のポルトガル王ジョアン2世は、ディアスが発見したこの岬を喜望峰と名付けました。その後、コロンブスやマゼランの航海が続きます。
 航海者たちの命知らずの航海によって、わずか1世紀の間に、地図が塗り替えられ、世界観が大きく変わりました。ディアスやコロンブスらが出航していった時、当時の彼らの頭の中には1000年以上にもわたって信じられてきた、このプトレマイオスの世界図とそう変わらない世界があり、彼らはその地図に描かれていない世界に行こうとしていたわけです。それは、いま私たちが火星や木星に行ってみよう、と考えることと同じくらい大胆なことだったに違いありません。

 ところで歴史は、どうしても西洋から見た視点で語られることが多いので、ヨーロッパ人が大航海時代に世界で初めて大海原に乗り出したように思われがちですが、実際には北欧のバイキングを始め、アジア、イスラム圏の人たちも既に多くの航路を知っていました。むしろヨーロッパ人は航海に関しては遅れていたとも言えます。たとえば、中国(明)の鄭和(ていわ)の船団は7度にわたる遠洋航海を行い、15世紀前半にはアフリカ東海岸に達していましたし、インド航路を開いたヴァスコ・ダ・ガマの航海の水先案内人を務めたのはアハマド・イブン・マージドという名のアラビア人の航海者でした。時代を遡れば、紀元前2000年頃の太平洋ではポリネシアの人々が小さな舟で自由自在に海を行き来していました。
 また大航海時代は、その後の西洋の覇権主義、帝国主義を助長させ、先住民の虐殺、植民地支配、奴隷貿易など負の側面も数多く生み出すことになりました。コロンブスのアメリカ大陸発見は、あくまでも西洋からみた「発見」であり、当時、既に先住民族が穏やかに暮らしていたのです。
 ですから現代から振り返った時、大航海時代の歴史的な意味は航路の発見や西洋列強の世界進出だけにあるのではありません。西洋的な知的欲求が地球規模に拡大したことで、世界全体がひとつの地図に描かれるようになり、異なる文明や文化の知識が急速に集められるようになったことも重要な意味を持っています。つまり地球という惑星から迷信や伝説を取り去り、世界全体を科学的に認識する発端となった時代とも言えるのです。

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