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紀元後(1) 2世紀〜10世紀

2世紀

キリストが生まれて約100年後の世界です。2世紀のはじめにはキリストの行いをまとめた「新訳聖書」が編集されています。

ローマ帝国が繁栄の頂点に達し、シルクロードを通じて東の大国、後漢との交易が盛んに行われていました。地中海からペルシア湾、アラビア海を経てインド、東南アジア経由で中国までつながる海のシルクロードも発達し、物資の輸送のみならず、宗教や文化の伝播にも大きな助けとなりました。

インドのクシャナ朝ではカニシカ王の元でギリシア文化の影響を受けた仏教美術=ガンダーラ美術が栄え、後に日本にも伝わりました。184年、後漢で農民たちの反乱「黄巾の乱」が起き、これが原因で220年に漢が滅び、三国志時代に突入することになります。

5世紀

4世紀から始まったゲルマン民族の大移動は、ヨーロッパの勢力図を激変させることになります。それぞれの王に率いられた多くの民族が次々に国家を建設し、ついには西ローマ帝国を滅亡させました。一方、中国では分裂の時代が続き、三国時代、五胡十六国・東晋時代を経て、5世紀には南北朝時代になります。

7世紀

分裂が続いた中国が再び統一への道を歩み出したのは6世紀末。随が南朝の陳を滅ぼして300年ぶりに中国が統一されました。その後すぐに随は滅亡しますが、618年に唐が建国され、以後約300年にわたり中国を統一します。三蔵法師として知られる唐の僧、玄奘が仏典を求めてインドに向い、5年にわたりナーランダー僧院で学んだのもこの頃。

イスラム世界では、アッラーの啓示を受けた商人のムハンマドが、迫害を乗り越えイスラム教を成立させます。ムハンマドの死後、イスラム教徒はウマイヤ朝を興し、ササン朝ペルシアを滅ぼし、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)からも領土を奪い、広大な領土を築きあげました。

8世紀

750年、革命によってウマイヤ朝はアッバース朝に取って代わられます。新たな首都として選ばれたのが、現在イラクの首都となっているバグダッド。この地でイスラム文化が花ひらくことになりました。

ヨーロッパをほぼ統一していたフランク王国は、732年にトゥール・ポワティエの戦いでイスラム軍に勝利。この戦争で活躍したカロリング家のカール・マルテルが実権を握り、その孫のカールは西ローマ帝国の復興を託されたゲルマン民族初の皇帝となります。

10世紀

中国は唐が滅んで、五代十国時代に入ります。イスラム世界では、アッバース朝から分裂したシーア派が建国したファティマ朝が現在のエジプトに、首都カイロを建設しました。アッバース朝に追われてイベリア半島に逃れた後ウマイヤ朝と並び、イスラム世界も分裂状態に突入しました。一方、ヨーロッパでは、962年、東フランク王国のオットー1世が戴冠し、神聖ローマ帝国が成立し、以後800年間続く封建国家が誕生することになりました。

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