2013年01月31日

海と田んぼからのグリーン復興プロジェクト

地球日記


1月26日、仙台の東北大学で「海と田んぼからのグリーン復興プロジェクト」の集まりがありました。

このプロジェクトが生まれたのは2011年4月のこと。東北大学大学院生態適応グローバルCOEのリーダーである中静透教授の呼びかけで、東日本大震災から1ヶ月後に有志が東北で集まったのがきっかけでした。

僕自身は、書籍『いきものがたり』の編集をきっかけに、2009年から生態適応グローバルCOEのコンソーシアムメンバーとして、ボルネオ島での学生たちのフィールド実習などに参加させてもらったり、年に一度の交流会で講演させていただいたりしていたご縁がありました。

最初の話し合いでグリーン復興というキーワードが出され、自然の恵みに支えられた一次産業を生業とする東北の復興のために、生態系をも視野にいれた復興は大切な視点になるという信念のもと、同じ志をもつ人が集う、ゆるやかな集合体として生まれ、Think the Earthも賛同団体として参加することになりました。

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→プロジェクトのウェブサイト
→海と田んぼからのグリーン復興宣言
→浦戸諸島寒風沢島でのモニタリング調査に参加したときの記事

「暮らしの復興=経済の復興」が優先されるなか、当初は「環境」というキーワードはなかなか理解されません。悩みながらのスタートでしたが、このプロジェクトがきっかけで環境省も「グリーン復興」というキーワードを採用することになり、少しずつ理解されるようになってきました。

毎回、この集まりでは、参加者自身が進める復興プロジェクトの報告があるのですが、NPO活動から研究者の調査まで、それぞれに難しい挑戦ではありながら、しっかりと成果を出している人たちの話を聞くごとに、いつも力をもらいます。

今回の会議は、プロジェクトの今後について考える大事な場でした。
予算ゼロのこのプロジェクトに、毎回みんなが集まる魅力はなんだろうか? という話になり、研究者には学会という学びの場があるけれども、この場は、研究者だけでなく、NPOや企業や個人が集まって、みなが成果を発表し合い、意見を交換できる希少な学びの場になっているからではないか、という意見がありました。これには皆が納得。誰もが自発的に参加できる、ゆるやかで心地良い空気を大切にしながら、力強い活動にしていくにはどうすれば良いか、場のデザインとしても興味深いプロジェクトになってきたようです。

海と田んぼからのグリーン復興プロジェクトは来年度以降も続きます。
「自然と人の暮らしが共にある復興」が次々と生まれてくることを願い、僕も参加を続けようと思っています。これからはプロジェクトの成果を、広く伝える段階に入ると思います。そんなことも企画していけたらと思います。
(上田壮一)

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2013年01月25日

スリランカの子供たちが描いた絵をテキスタイルにしよう

地球日記

鮮やかな色彩に愛らしい模様のテキスタイル。実はこれ、スリランカの孤児院で暮らす子供たちの絵を、日本と韓国のデザイナーがテキスタイルとして再構成したものなのです。

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©SRI LANKA TEXTILE PROJECT 無断転載禁止

2012年に始まった、このスリランカテキスタイルプロジェクト。素敵なデザインの背景にどんな思いがあったのか、代表の杉原悠太さんにお話を伺ってきました。

スリランカテキスタイルプロジェクト代表 杉原さん

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日本へ一時帰国中の杉原悠太さん

現在は韓国でグラフィックやWEBデザインのお仕事をされている杉原さん。2年前、国際交流や教育支援を行っている一般社団法人 SPUTNIK Internationalを通じて初めてスリランカに渡り、現地での支援活動に取り組んでいました。


「3ヶ月半ほど現地の状況を見て、帰国後はフェアトレード商品の販売やチャリティイベント等を通じてボランティア活動に携わりました。その後、デザイナーとして自分が出来ることについて考え始め、2012年、再びスリランカを訪れました。そのとき一緒に過ごした孤児院の子供たちと絵を描きながら遊んだのですが、人物や自然の風景だけでなく、周りの大人が着ている服の"柄"を描いている子供が多いことに気づいたのです。」


スリランカは隣国インドに並ぶテキスタイル大国。また、様々な宗教文化が混じり合い、豊かな模様文化が日常に溢れています。子供たちが"連続した模様"を描くのはスリランカならではの文化だと感動し、その創造性を活かしたいと考えた杉原さんは、子供たちの絵をテキスタイルに変えて、再び彼らの日常に還元するためのプロジェクトを立ち上げました。

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©SRI LANKA TEXTILE PROJECT無断転載禁止


最初はただ「一緒に遊んだ子供たちの生活を支えたい」という思いだけでした

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©SRI LANKA TEXTILE PROJECT無断転載禁止


こうして2012年4月に発足したスリランカテキスタイルプロジェクト。杉原さんの思いに共感した友人・知人アーティストもこのプロジェクトに加わり、一枚一枚味のちがうユニークなテキスタイルが生まれました。ここからさらに布地プリントして、ポーチやバッグなどの製品づくりを行います。


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布地プリントしたテキスタイル


「最初はとにかく子供たちの生活を支えたいという思いが先行していたので、製作したプロダクトの販売収益を寄付する"孤児支援プロジェクト"としてスタートしました。しかし寄付だけの支援には限界があるため、それなら生産から販売までを全て現地で行えば雇用を生み出せるのではないか?と、長期的に続けていける社会的な活動をイメージするようになりました。」


先天的な経済格差が続いているスリランカでは、生まれた家庭環境によってほぼ将来が決まってしまいます。また、スリランカの孤児院制度では、子供たちは18才頃になったら卒園し、親戚に引き取られて家のお手伝いをしたり、あてがなければ、孤児院や老人ホームで住み込みのお手伝いをしたりします。


「とにかく仕事が少ない環境なので、この地域型のテキスタイル産業を発達させることで、村の女性や、将来孤児院を卒業する子供たちが働ける環境を作れたらと思いました。また雇用を生み出すと同時に、大人と子供の関係を取り戻したいという願いもありました。子供たちが描いた絵を大人が縫う。どちらか一方ではなく両者があって初めて動いていくような、そんな地域活性化を目指したプロジェクトにシフトしていきました。」


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©SRI LANKA TEXTILE PROJECT無断転載禁止


頭で考えていても体は動かないー感情を体験することが大事

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試作品のバッグやポーチ


「このプロジェクト名、ちょっと長いですよね(笑)。テキスタイルを通して子供たちの創造力と文化を知ってもらうこと、現地で雇用を創出すること...シンプルにメッセージを伝えたくてこの名前にしました。社会のシステム全体を変えられなくても、こうした個人単位の活動がまわりに作用して、少しずつ広がっていくような、そんな水車のような役割になれたらと考えています。」


一過性の支援で終わらせたくない思いがあったからこそ、時間をかけて持続可能な道を模索してきた杉原さん。本業であるデザインの仕事をしながら、日本、韓国、そしてスリランカを行き来する、そのエネルギーはどこからくるのでしょうか?


「やっぱり当事者になったことが大きいです。実際スリランカに渡って貧困地域で暮らしたことで、初めてわかったことがたくさんありました。なんとかしたい!といくら頭で考えていても体は動かない。感情を体験することが大事ですね。」


現在はスリランカで女性の生産者団体をまとめているラクリヤさんと話を進めながら、実際にスリランカでのプロダクトの製造・販売を検討しています。日本と韓国で、展示の同時開催なども予定しているので、ぜひWEBサイトもチェックしてみてください。


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メンバーでデザイナーのAnna Choiさんと一緒に

☆スリランカテキスタイルプロジェクト http://sugihara-yuta.com/stp/
☆杉原悠太 http://sugihara-yuta.com/
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©SRI LANKA TEXTILE PROJECT無断転載禁止

--------近日中のイベント--------
1月25日(金)金沢B+eAT Creative Presentationに
スピーカーとして杉原さんが参加します!詳しくは下記URLよりご覧ください。
http://www.eat-kanazawa.jp/
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(関根 茉帆)

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2013年01月16日

障がいがあってもなくてもアイデアと工夫でスキーを楽しむ、NPOネージュ

地球日記

こんにちは、ふしみです。先日、12年ぶりにスキー場へ行きました。
幼い時期を北海道で過ごした私は身近なレジャーとしてスキーを楽しんでいましたので、いつか自分の子どもたちと一緒に滑りたい!スキーの楽しさを経験させてあげたい!と思っていました。どうやら最近は、1987年公開の映画「私をスキーに連れてって」で火がついたスキーブーム世代が親となり、子連れでゲレンデに戻って来ているとかで、意外にも雪山ではスキーヤーが増えているのだそうです。調べてみると、確かにファミリー向けのゲレンデ情報も充実しているし、とっても楽しそう!
というわけで、スキーデビューのちびっ子5人を含む総勢12名で、いざ越後湯沢へと向かったのでした。

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出発前に眺めていた湯沢中里スキー場のホームページで、見覚えのあるNPOネージュの名前を見つけました。私がネージュ代表の稲治大介さんにお会いしたのは、2007年の春。6年も前に一度お会いしただけなので覚えて頂けているか不安でしたが、思い切って連絡してみたところすぐにお返事があり、ゲレンデで再会できることになりました。私はネージュの活動地が湯沢であることをすっかり忘れて旅行の手配をしていたので、今回の行き先が偶然にも湯沢であったことにとてもご縁を感じ、嬉しさ倍増のスキー旅行となりました!

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湯沢アウトドアセンター(YOC)のスタッフさんでもある稲治さんは、冬にはスキー、夏にはほぼ毎日カヤックの指導をしている根っからのスポーツマン!爽やかな笑顔で出迎えていただきました(吹雪いているのに〜)。

スキーを中心とした障がい者のスポーツ支援を行なっているNPOネージュは、私が前職で運営を担当していたリコー社会貢献クラブ・FreeWill(以下、FreeWill)の支援先の一つです。FreeWillは、有志社員の会員で構成された社員組織で、会員から集めた資金を年4回、社会貢献活動を行う団体や個人に寄付しています。寄付先は、社員から推薦があった団体や個人の中から選ばれ、寄付を実施する際には会社も同額を上乗せするマッチングギフト制度を設け、社員の気持ちを応援する仕組みとなっています。

6年前にリコーの本社で稲治さんからお話を伺った際、障がい者のSOL(生命の尊厳)ばかりでなく、いきいきと生きるためにQOL(生活の質)がとても大切であり、ネージュではSafety(安全)、Fun(楽しい、遊び)、Technique(技術)を基本に、障がい者のQOL向上を目指して活動を進めていることを教えていただきました。

たとえば小学一年生の脳性麻痺の男の子がスクールに参加した時、最初はアウトリガー(ストックの代わりに使う補助具)を持って1~2mしか進めなかったのに、6回目には自分で滑り降りてこれるようになりました。この経験で自信をつけ、日常の生活意識、モチベーションが変わった男の子は、学校での勉強も頑張るようになったそうです。稲治さんが伝えたいことは、スキーの楽しさだけではありません。ネージュでの経験を出発点にして、新しいことに挑戦し、世界を広げて欲しい、スキーがそのきっかけになることを願っているのです。

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2007年当時、設立まもなかったネージュでは、身長や障害の種類によってきめ細やかな調整が必要となるアウトリガーなど、必要な道具が十分ではありませんでしたので、支援金で購入していただくことが決定しました。写真はバイスキー(主に車椅子常用のかたが座位でスキーを楽しむための道具)とアウトリガーです。FreeWillでは、アウトリガーとフリーダムウィール(車椅子でも雪道をスイスイ自走できるアタッチメント)を支援しましたが、どちらも高額なので個人で買い揃えるのは大変です。アウトリガーは数種類を用意して利用者にレンタルしているそうです。6年間使っていただいた実物を目にして、大切に使いこまれた様子をFreeWill会員の皆さんにもお伝えしたいと思いました。

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今回、小学5年生のAちゃんが18回目のスクールをご家族で受講しているところへお邪魔しました。二分脊椎による下肢麻痺で、2万人に一人が発症すると言われている障がいを持つAちゃんですが、本当に楽しそうに笑顔で滑っていたのが印象的でした。
必死で後ろからついていく私に、「とにかく楽しいが一番です!」と話す稲治さんは、6年前に応接室でお話をした時よりもスキーを滑りながらの方が何倍も力強く、「スキーが上手になることよりも、趣味の一つになったり、家族みんなの楽しみになったり、毎日の生活が変わったり、そういうことが大切なんです」と改めて教えてくれました。

当然、私のスキー熱にも火がつき、次の計画を立てているところです。

*特定非営利活動法人ネージュでは、サポーターズクラブ会員を募集しています。自然豊かな新潟県南魚沼群湯沢町を舞台に、国内でも数少ない障がい者専門スキースクールを運営しているネージュの活動を応援してください!

(伏見 聡子)

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2013年01月08日

じてんしゃ図書館の土居さん

プロジェクト裏話理事からのメッセージ


じてんしゃ図書館の土居一洋さんがThink the Earthのオフィスを訪ねてくださいました。

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土居さんは、2002年に出版した写真集『百年の愚行』に心打たれて、この本を図書館に買ってもらい、なるべく多くの人が出会って欲しいと願い、全国の図書館を巡る旅をしていました。

昨年末に7年10ヶ月に及ぶ、
その旅を終えたこともあって、会いに来てくれたのです。
訪ねた図書館はなんと2640館。

2004年に、ある本屋で『百年の愚行』に出会い、
出版されて2年になるこの本を自分が知らなかったことに驚いたそうです。
知人に話しても、みんな知らない。

近くの図書室を訪ねてみても置いていない。
検索したら本館の図書館には置いてあって、取り寄せることはできる。
でも土居さんは「本は本棚にないと出会うことができない。
図書館の役割はそこでしょう」と強く訴え、この本をもう一冊買って、
その小さな図書室にも置いてくれるように頼んだそうです。
図書館は、土居さんの頼みを聞いて買ってくれました。

それがきっかけとなって、土居さんは日本中の図書館を巡る旅に出ます。
アルバイトをしながら、日本各地の図書館を訪ねて交渉する旅です。
自分自身が図書館になればいいと、移動図書館もはじめます。
自転車に土居さんが大事だと思う本を乗せて約8年の旅をしたのです。
貸し出し方法もユニークで、借りた本は返さずに、
次に借りたい人に貸していいですよ、という仕組み。

土居さんの旅は地方地方で話題になり、たくさんのメディアで取り上げられ、
僕たちも、土居さんの活動を詳しく知ることになりました。

僕たちは確かにこの写真集を作り、
書店や図書館を通じて読者に届けてきました。
でも一人一人の読者の顔は案外見えないものです。
土居さんのような個人が、一冊の本の力を信じて、
その本と人が出会うチャンスを作ろうと行動されたことに
心からの驚きと感動を覚えました。

僕が土居さんとお会いするのは今日が初めてのこと。
電話では何度か話したことがあったのですが、東京に来られることの
少ない土居さんと会うチャンスはなかなか無かったのです。
きっといろんなことがあった8年間だっただろうけれども、
今日、直接じてんしゃ図書館のきっかけの話を気負い無く語ってくださり
お正月早々から、何かさわやかな風が、
代官山のオフィスを駆け抜けていった感じがしました。

今日はこれから故郷の鳴門に戻り、
いつかは本作りの仕事をしたいとおっしゃっていました。
土居さんなら、きっとすばらしい本を作るんじゃないかな。

実は今年、『百年の愚行』の続編を作りたいと思っています。
内容、作り方、売り方、いろんなことを徐々に考え始めています。

今回は土居さんとも、本を作る段階から
相談しながら作れたらと願っています。

土居さん、訪ねてくれてありがとう!
(上田壮一)

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