2014年02月14日

なにが何でも浜岡原発だけは動かしてはならないという理由・・・また原発問題かと笑わないでください

理事からのメッセージ

みなさん、こんにちは。
Think the Earth理事メンバーがスタッフブログに登場するコーナー、
第10回目は水野誠一理事長の登場です。

理事のみなさんの紹介はこちら
http://www.thinktheearth.net/jp/about/organization/index.html
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都知事選が終わり、残念なことに宇都宮・細川・脱原発派の両陣営が負けてしまいました。
自民党推薦候補が勝ったことによって、原発再稼働が進むことは間違いないでしょう。
脱原発の候補が二人立つことによって、脱原発票が分割され、譬え合計では勝てても、たった一人を選ぶ首長選挙では、ムダな闘いになることは明らかでした。そこで、両陣営に働きかけて、政策の摺り合わせと一方が出馬を譲るということもしようと試みました。しかし、宇都宮さんはあまりにも早すぎ、細川さんはあまりにも遅すぎたために、この調整は全く噛み合わないことになってしまったのです。

今回、たしかに都知事選の重要な争点のひとつに、エネルギー政策と原発再稼働問題がありました。なんでこれが都知事選の争点なのだ?と言う人もいます。また、今回の「Think the Earth」へのこの原稿に対して、「なんでまた原発問題なのだ?」というお叱りもあるかもしれません。だが、そんな悠長なことを言っていられない事態が迫っているからなのです。
私の最大の危惧、また今回の知事選では、細川さんも訴えていましたが・・それは再び日本を襲う「大地震」が迫っている危機なのです。これこそがまさに、Think the Earthなテーマなのではないでしょうか?

現時点で、いつ起きても不思議ではないといわれる震災には二つあります。
ひとつは、直下型の「関東地震」です。これは首都圏直撃の巨大地震です。被害総額も膨大になるでしょうが、それでも100兆円には行かないだろうと思われていることと、原発事故とは絡まない可能性が大きいことが、まだ救いなのです。

ところでもうひとつの危惧が、「南海トラフ地震」です。こちらは悠に200兆超えの損害規模だと言われています。この今回の南海トラフ地震は、過去の例からみて、東海・東南海・南海・三連動地震の可能性を意味します。ところが、その中でも一番恐ろしいのが、南海トラフと繋がっている駿河トラフで起きる「東海地震」なのです。

それは不確かな地震警告は出さない気象庁までが、「東海地震発生の切迫性」と題したレポートを発表していることからもわかります。しかも、東海地震は、「駿河湾から静岡県の内陸部を震源域とするマグニチュード8クラスの巨大地震」と位置づけていることに注目して戴きたいのです。

気象庁:東海地震発生の切迫性
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/tokai/tokai_eq2.html
03.jpg

それは何を意味するのでしょうか?
南海トラフ地震や駿河トラフ地震自体は、海溝型地震ですから、3.11の東北地方太平洋沖地震と同じく、津波被害が想定されますが、それによって引き起こされる東海地震は、直下型地震を伴う地震なので、浜岡原発を取り巻く活断層が動く可能性が高いということなのです。そうなれば、津波被害で電源喪失などという事故ではなく、炉自体が直撃破壊される危険性が伴う前代未聞の巨大事故となりそうなのです。

14年前に政府が「東海地震の可能性は30年間以内に83%」と発表したことがありましたが、それから14年経った現在では、残り16年間に起こる確率は更に高くなっているということなのです。

政府が最近発表した南海トラフ地震の被害想定によると、最大被害は220兆円というものでしたが、この中には浜岡原発の事故は想定されていませんでした。これを入れると福島程度の事故だったとしても、その被害総額が天文学的に跳ね上がる可能性があるのです。
それは、福島原発の事故と違って、浜岡原発が首都圏の西に位置するからです。偏西風に乗って高濃度の放射能雲が首都圏を覆う事態になれば、3000万人の住民が一斉に避難せざるを得ません。また都心との距離も200kmを切ります。その事故規模にもよりますが、最悪の場合は政治・行政を含む総ての首都機能喪失となります。

脱原発派知事候補に勝たせたいという思いはありますが、なんと言っても肝心なのは、全炉の再稼働を促進しようとしている安倍さんを思いとどまらせることなのです。そして、静岡県知事が絶対に再稼働許可を下ろさないことなのです。
それに向かう端緒としての都知事選ではありましたが、それが総てではないいうことなのです。

2011年の事故後、5月に菅首相が浜岡原発だけの運転停止を中電に要請しました。それによっていち早く停炉されたことを憶えていますか?あの時は、私が出馬した2001年の知事選での訴えが結実したのだ、と褒めてくれた方々もいましたが、実はそうではなくて、米国からの強い要請だったと言われています。プレートのズレの余波で、駿河トラフ地震が誘発されて浜岡原発がやられると、横須賀の米軍基地が壊滅するからだと言われていました。これは事実でしょう。ですから、この外圧が最後の安全装置なのです。
外圧に頼っても止められるなら好いと思いますが、出来れば我々日本人の気づきで止めるべきことなのです。
この危機について、改めて問題にすることが求められているのです。
そんな最中、中部電力が、再稼働申請を出すことが明らかになったのです。
薄っぺらな防波壁(塀)と、多少の手直しだけで、それこそ、過去にも未曾有の原発事故が起きうると予測されていた、この世界一危険な原発を再稼働させるとは、どう考えても狂気の沙汰でしょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD0602R_W4A200C1EB2000/
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そこで、2011年の事故後、恐らく菅首相が浜岡原発を止めた直後に書いた原稿を、ここに再掲したいと思います。
この問題が如何に重要かを認識する上で、大事な補強的な解説になるからです。以下、長い引用をお許しください。

(以下引用)

浜岡原発を止める理由

21世紀になってなにやら20世紀の常識が覆され始めている。
今回の東北地方太平洋沖地震も様々な常識を覆している。
まず、地震の常識では滅多に起きないと思われていたマグニチュード9越えの地震が起きたこともさることながら、科学の粋を集め最新技術の塊の様に思われていた原子力発電では、次々に暴露されるその災害対策のお粗末さから、鉄壁の安全性という常識がいとも簡単に覆されてしまった。とりわけ、今まで安全の守護神の様に語られてきたECCSまでが破断し、格納容器に穴が開き、1号〜3号機でメルトダウンを起こした事実は、完全に「安全神話」の崩壊を意味する。

「なぜ浜岡なのか」

「浜岡原発が止まる!」
それは5月6日、菅首相の唐突な記者会見から始まった。
「かなり高い確率で起こり得る東海地震に備え、地震(津波)への対策ができるまで、浜岡原発の運転停止を中電に要請する」というものだった。その前日に海江田経産相が浜岡原発を訪ね、中電社長や静岡県知事と話をしているニュースが流れたので、何かが起きそうだとは思っていたが、あまりの唐突さに、長年浜岡原発の停炉を訴えてきた私ですらビックリしたのだから、事情を知らない人々はさぞ不思議に思ったに違いない。
実際その直後から、「浜岡原発はそんなに危ないのか?」「なんで浜岡原発だけなのだ?」「菅首相の延命のためのスタンドプレイか?」「電力不足も考えない拙速な独断では?」などの疑問が報道を賑わせることになった。
ところが意外なほどあっさりと、中電は政府の要請を受け入れ、運転停止を決定した。4号機は5月13日に、5号機は、復水器内で冷却用の海水が400トンも漏れ出して混入するというトラブルのオマケを伴いながらも、15日に停止した。

今回の運転停止問題には菅首相の説明不足も大いにあるのだが、受け止める側にも様々な勘違いもあるということで、少しこれらの疑問に答えてみたい。

これは「なぜ浜岡だけを止めるのか」という疑問に尽きるだろう。
答えは、浜岡原発が東海地震の危険性に晒されている危険度と緊急性が一番高い原発だということになる。
今から10年前に政府の「地震調査委員会」が「今後30年間に87%の確率でM 8、震度6〜7の地震が起きる可能性」があると発表した。さらに東海地震は1854年の安政南海地震のように東海・南海・東南海連動型地震となる可能性も高いと予想されており、これが生じた場合にM 9の巨大地震となると言われる。
浜岡原発の1号機が完成したのは1976年だ。中部電力の最初で唯一の原子力発電所であった。そんな時代に中部電力が候補地として白羽の矢を立てたのが浜岡だ。いかなる調査をし、いかなる判断で浜岡を選んだのか定かではないが、今から見ればその選択は最悪であったとしか言いようがない。

その理由の第一は「地層」の問題だ。
小村浩夫助教授(1981年当時)の調査によると、浜岡原発から8km以内周辺には8本の活断層が確認され、他に3本のリニアメント(擬似断層)があり、その内2本が原発敷地内を走っていると言われている。
しかも浜岡原発の立地する地盤は相良-掛川層群比木層 という砂と泥からできた地層であり、工学的には「軟岩」や「泥岩」に分類される。つまり中部電力が言うように頑丈な岩盤の上に建っている原発とはほど遠い代物なのだ。2009年8月の駿河湾地震では、5号機で地盤が10cm沈下し、廃炉中の1号機では逆に20cm隆起したという。
国内での評価だけではない。ウォールストリートジャーナル誌が世界の400を超える原発を調査して、その「危険度ランキング」を割り出した資料がある。それを見ても台湾の原発2機に続いて堂々世界第3位に位置していることがわかる。

二番目は、「海溝型地震」に限らぬ「直下型地震」の可能性だ。
東海地震の場合、駿河トラフが動くケースが十分に考えられる。駿河トラフや相模トラフの場合、震源域が人の住む日本列島の下まで及んでいるため、海溝型地震でありながら直下型地震と言っていいとされている。すなわち、プレートと原発直下の活断層が繋がった状態にあるというところに、直下型=比較的小規模な地震という常識が通用しないわけだ。
その場合は、原子炉の核燃料の核分裂は止められたが冷却水が間に合わなかったという事故ではなく、原子炉自体が跳ね上がり制御棒すら入れられない大事故が十分に考えられる。
むろん、津波の心配もないわけではない。だがもしも今回の東北並の津波が来たら15mの華奢な防波壁では何の役にも立たないことも明らかだろう。
2009年8月11日に駿河湾地震(M6.5)が起きた時は、浜岡原発は全炉自動停止し、幸い事故には至らなかった。また暑い最中であったのに電力不足は起きなかった。だが現在想定されている東海地震はこんな規模では済まない。政府予測によると、マグニチュード8の地震という想定である。マグニチュードが「1」上がる毎に32倍もエネルギーが増加する計算なので、少なくとも駿河湾地震の40倍以上の揺れが想定されることになる。

三番目は、今までに浜岡原発で起きた冷却水系の故障や事故履歴のあまりもの多さである。
手許の資料で見ると、2001年の平常時に起きた配管の破断事故から始まって、冷却水の漏洩などの大きな事故だけで7件、その他の火災事故、不正行為、データ改竄などを入れると16件の事故や問題があったとされている。
見逃せないのは、2009年8月の駿河湾地震の時、5号機で250本の制御棒の内30本の制御棒駆動装置が故障していたことをはじめ、24件の不都合が見つかった事実だ。さらに今回5号機の停止作業中には、復水器中のパイプが破断して400トンの海水が混入し、炉内にも5トンが混入するという事故が発生した。平常時でもこのありさまなのだから、地震が起きれば、設計上冷却系配管の破断は避けられないと、福島第一原発の設計者だった菊池洋一氏は警告している。
こんな状況の中で運転されてきた浜岡原発。1号機と2号機は安全対策投資の目処が立たずに廃炉を決断したわけだが、最新の5号機ですらこの状態であることを中電はどう説明するのか。

「停炉ではなく、廃炉でなければ意味がない」

「危険なことは分かったが、防波堤や冷却のバックアップ装置ができたら運転再開すべき」と考えている人は少なくない。これが大きな間違いであることは、直下型地震が起きる可能性が高い限りあまり意味がない対策だからだ。廃炉にすべきなのだが、廃炉ができないなら、少なくとも東海地震が来るまで休炉をすべきだろう。
また、「東電が電力不足の現在、慌てて止めなくても」という意見もあるようだ。
たしかに、琉球大学の木村政昭名誉教授のように、今回の東北地震によって東海地震は30年以上遠退いた、という見方をする地震学者もいる。だが、一方では今止めても30年先の地震に間に合うのかどうかという心配すらあるのだ。
まず、制御棒が入って核分裂が止まっても、冷却装置が壊れれば大事故になることは福島の事故から理解いただけると思う。しかし、我々は運転中の炉の停止ばかりを心配するが、廃炉が決まっている1号機、2号機の建屋のプールの中でも、使用済み核燃料が1600本も冷却中だということは見落としがちだ。ということは、運転中の4号機、5号機を止めても、その燃料を安全温度まで冷却するのには建屋内のプールで相当年数、冷却を続けなければいけないということなのだ。受け入れ先の目処が立たない使用済み核燃料を抱えたまま、地震が来ないことをひたすら祈ることになる。

福島第一原発事故では、何処までが天災で何処からが人災なのかという検証が始まるだろう。だが折角止めた浜岡を東海地震前に再稼働させたなら、これぞ100%人災になるということを肝に銘じてほしい。

(以上引用)

私は、恐らく2020年頃までに、この大型地震が到来するのではと思っています。来なければそれで結構なのですが、地球規模の危機を予め予防するために、これだけは聞き届けて戴きたいものです。

(水野誠一)

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2014年02月13日

高崎の街から「あすもあなたの会いたい人になろう」

地球日記

こんにちは、関根です^^ わたしの生まれ故郷である群馬県高崎市に、最近おもしろいカフェが誕生しました!その名も「cafeあすなろ」。

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カフェの外観。期間限定のイルミネーションが飾られています。

実はここ、およそ30年前に惜しまれながら閉店してしまった高崎市の音楽喫茶「あすなろ」を地元大学生などの手で復活オープンさせたお店なのです。

日ごろ東京で仕事をしながらも、地元のために何かできないか...と思いめぐらせていたところ。今回は帰省に合わせて、カフェの運営に携わっている「あすなろ学生部会」代表・小池雅樹さんと副代表・林あかねさんに、お話を伺ってきました!

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カフェあすなろ
小池さんと林さん。高崎経済大学地域政策学部の2年生です。

■あすなろは「特別な場所」
ー 昨年6月にオープンして、半年が経ちましたね。あらためて「cafeあすなろ」立ち上げまでの経緯を教えていただけますか。

小池さん:はい。昔この高崎の街で多くの人に親しまれていた喫茶店「あすなろ」は、詩人の崔華国(さい・かこく)氏が、映画「ここに泉あり(※)」に感銘を受けたことがきっかけで開業されました。

"芸術活動の拠点"として、谷川俊太郎や茨木のり子など多くの文化人が訪れたそうですが、1982年に閉店。その後、旧・あすなろに通っていた方から何度か復活を望む声が上がり、2012年に高崎市が正式に再オープンを発表。「実社会体験の場」として高崎経済大学が市の補助を受けながら、運営することとなりました。

ー 詩の朗読会や演奏会などもたびたび開かれたようですね。わたしの母が高校時代に通っていたようで「大人っぽい雰囲気で最初はドキドキした」なんて話も聞きました。

小池さん:自分も高崎出身なのですが、親や祖父母世代に聞くと「(旧・あすなろのことを)知っている」と答える人が多いです。高校生が喫茶店に行くことをあまり良く思っていなかった人も「あすなろはOKだった」なんて話もありました。閉店した後もあすなろに関わった人たちで交流が続いていたことを聞くと、『特別な場所』だったんだなぁと思います。

※映画「ここに泉あり」は、敗戦直後の高崎で"戦後のすさんだ心を音楽で癒そう"と誕生した市民オーケストラ(現・群馬交響楽団)がモデルとなった作品。1955年の公開以来、全国で300万人を超える大ヒットとなり「音楽のある街・高崎」としての認知を広げました。

あすなろ店内
店内は奥行きがあり広々としています。

■個性豊かな同級生との出会い
ー 大学からカフェ運営にあたる募集があったとき、どう思われましたか?また参加に至った理由を教えてください。

林さん:入学して間もないころ空き時間が多く、何かしたいと思っていました。そんなとき大学からの案内を見て「たくさんの人とつながりを持てそう!」と直感的に感じ、あすなろ学生部会の入会を決めました。

小池さん:元々NPO法人DNAという地域活性を目的とした団体に所属しており、街の人と直接交流できるカフェという場所でも、やりたいことを実現できるのではと思いました。
現在は30名前後のメンバーで運営していますが、この活動に参加したきっかけは人それぞれです。あすなろという場所で何かしら実現したいことがある学生が集まっています。

ー あすなろ学生部会のブログを読んでいても、みなさん個性豊かですよね。毎回楽しく拝見させていただいています。

小池さん:「高崎経済大学にこんな面白いやつがいたのか!」という発見はありましたね。(笑)

高崎 カフェあすなろ
地域の方からいただいたレコードで、店内には心地よい音楽が流れます。

■やりたいことと求められていることは違う
ー 学生メンバーのなかで、経営・企画・広報と担当を分けて会議を進めているということですが、実際大変なことも多いのではないでしょうか?

小池さん:「カフェを運営する」というワードに集まったものの、経営や広報については初心者ばかりなので最初は大変でした。(笑)始めのうちは院生や事務局の人が必ず会議に入り「本当にこれで実現できるのか」「なにが必要になるか」など、アドバイスをもらいながら進めていました。

今はわりと学生主体で動けるようになってきましたが、現場の声と大学としての希望と...それぞれの主張が違うときは、まとめるのが本当に難しいですね。やりたいことと求められていること、できることと求められていることは違うので、何を求められているのかを常に考えながらチームを動かしています。

ー 求められていることとして、例えばカフェを訪れた方からはどんな感想をいただいていますか?

小池さん:さまざまなご意見をいただいていますが、旧・あすなろに通われていた方の一人に「昔のあすなろはもうないから、新しく若い人たちの力で盛り上げてほしい」という言葉をかけていただきました。

ー 定期的に上映会やLIVEなどのイベントを開催されていますよね。

小池さん:ほとんどが持ち込みの企画です。ありがたいことにこの場所でLIVEをしたい、イベントを開催したいという声を多方面からいただいています。
企画内容によって参加されるお客様の年代は異なりますが、「若い人たちを街なかに呼び込もう」と立ち上げた新生あすなろなので、10〜20代の若い世代の方にも、気軽に利用してもらえるお店にすることが課題としてあります。

あすなろの本棚
寄付された本や昔のあすなろについて書かれた雑誌が置かれています。

■これからあすなろに関わる人に楽しんでもらいたい
ー 高崎という街について、あすなろの運営に関わる前後で気持ちの変化はありましたか?

林さん:わたしは長野県出身で大学進学と同時に高崎に来たのですが、最初は家と大学の往復のみで、街なかを歩く機会があまりありませんでした。でもこの活動に参加するようになってから、同じように個性のある喫茶店や、離れた場所にも素敵なお店があることに気づくようになりました。今ではこのあたりを散策するのがとても好きです。

ー すこし歩いただけで色んな発見がありますよね。駅構内で買い物を済ませてしまう人も多いですが、もっと周辺の街なかに足を運んでほしいなと思います。
最後にあすなろを通しての夢や目標などあれば聞かせてください。

林さん:わたしはあすなろをあたたかいお店にしたいと思っています。例えば就職活動や仕事で疲れたときも、ここに帰るとほっとできるような...。スタッフもお店の雰囲気も、そういった温かみのあるものにしていきたいです。

小池さん:一人一人があすなろでやっていきたいことを実現できたらいいなと思います。街なかがつまらない場所と思われないよう、地域活性を担えるよう下から支えていきたい。「あすなろっておもしろいよね!」とたくさんの方に楽しんでいただけるようなお店にしていきたいです。

小池さんと林さん
笑顔が素敵なお二人。ありがとうございました♪

★  Cafeあすなろの店舗情報  ★
[所在地] 〒370-0827 群馬県高崎市鞘町73
[TEL] 027-384-2386 [営業時間] 11:00〜21:00/月曜定休
[HP] http://cafe-asunaro.com/index.html
[アクセス] JR高崎駅西口から徒歩10分


大きな地図で見る


群馬県高崎市カフェあすなろ

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取材後記

植物の"アスナロ"は漢字で「翌檜」と書き、檜(ひのき)によく似ていることから「明日は檜になろう」の意でその名前がついたとも言われています。
同じくcafeあすなろにも、実は素敵なキャッチコピーがあるのです。

『あすもあなたの会いたい人になろう』

立ち上げ当初コミュニティカフェであるという意識を常に持つよう、学生メンバーのみなさんで考えた言葉だそうです。高崎に住む人、高崎を訪れる人がこの場所で出会い、つながり、「また再会したい」「いつかここに帰りたい」と思ってくれたら...わたしもとても嬉しいです。


[ text&photo: 関根茉帆 ]

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2014年02月06日

クリエイティブな「超」福祉=ピープル・デザイン [ セミナー&サロン ]

セミナー&サロン

先週の金曜日(1/31)、セミナー&サロン第21回を開催いたしました!
ゲストはネクスタイド・エヴォリューション代表の須藤シンジさん。

須藤シンジさん.jpg

ハンディのある・なしに関わらず、多様な個性を持つ人たちが自然にまざりあう社会の実現を目指し、ファッションやデザインという視点からクリエイティブに課題解決に取り組んでいる須藤さん。

当日のセミナーでは、視覚障害のある方が普段映画で聞いている「音声ガイダンス」を体感したり、ネクスタイドの商品を実際に触れてみたり...と盛りだくさんな内容となりました!(スタッフの田中さんとの掛け合いがまたおもしろい^^)

今回は、当日の様子をチラリと写真でご紹介します。

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ネクスタイドの人気商品"レインコート"を参加者の方が試着。「この位置のポケットにはどんな意味があるでしょう?」「ファスナーの開け閉めはどうですか?」という須藤さんの問いかけに、実際手を動かし確かめながら答えていました。

懇親会の様子
懇親会ではお酒と軽食をご用意しております。参加者のみなさん、須藤さんとの交流をとても楽しんでいらっしゃいました。

ネクスタイドの田中さん
ネクスタイドの商品に興味津々!田中さんが一つ一つ丁寧に説明しています。

ネクスタイドのシューズ
アシックスとネクスタイドのコラボレーションで生まれたスニーカー。手先が不自由でも着脱しやすいのが特徴です。

Think the Earthスタッフ
Think the Earthスタッフも勉強中。うーん、どの商品も素敵!


ご来場いただいたみなさまありがとうございました^^
須藤さんの活動については、Think the Earthの地球リポートでも紹介しているので、こちらもぜひご覧ください。
<マイノリティがあたりまえに混ざり合う社会へ〜ピープル・デザインという発想>
http://www.thinktheearth.net/jp/thinkdaily/report/2013/03/rpt-63.html#page-1

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★セミナー&サロン第22回のお知らせ★
次回は3月7日(金)19:00〜 ファブラボ鎌倉ディレクターの渡辺ゆうかさんをゲストにお迎えいたします。詳しくはこちらのページをご覧ください。

Think the Earth セミナー&サロンは、NPOや企業、クリエイターなどが参加し、Think the Earthな視点を共に学ぶ場として、異なる業種、フィールド間で情報を共有していく交流の場として、2002年より実施しています。アースコミュニケーター会員と学生の方はセミナー参加費が無料となります。

Think the Earthスタッフ
みなさまのお越しをお待ちしています♪


[ text:関根 / photo:山口、関根 ]

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2014年02月03日

再エネに挑む小学生パワー!

プロジェクト裏話理事からのメッセージ

みなさん、こんにちは。
Think the Earth理事メンバーがスタッフブログに登場するコーナー、
第9回目は上田壮一理事の登場です。

理事のみなさんの紹介はこちら
http://www.thinktheearth.net/jp/about/organization/index.html
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小学生のパワーがすごい! と実感する半年でした。

『グリーンパワーブック 再生可能エネルギー入門』の編集にあたって、本の編集段階で東京学芸大学附属世田谷小学校6年生のクラスが「再エネ」の授業を行ってくれました。この時に実際の授業を通して先生と議論したことが、本の編集でもとても役に立ちました。

どんな授業内容だったかというと、最初の授業で、再エネの概要を先生が教えた上で、5つの再生可能エネルギーチーム(太陽光、風力、バイオマス、小水力、地熱)に分かれます。そして、学校祭でそれぞれのチームが勉強の成果をパネル展示し、来場した父兄や下級生からの投票で順位を競うという仕掛け。

当日の午前中は子どもたち自らがシナリオを書き、演出した劇を披露し、教室での発表に誘導、投票を呼びかけます。この劇がよく考えられていて、メッセージ性もありながら、笑いもあり、突如みんなでAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を踊っちゃうエンターテインメント性もあり、その構成・演出力に驚かされっぱなし。

競争があること、発表の舞台があることで、子どもたちのモチベーションも高く、パネルの前では大人顔負けのプレゼン。ちょっといじわるな質問を大人がしても、しっかり勉強したために、怖じ気づかずに答えていました。

この授業のアイデアを考えた担任の沼田先生の力が計り知れず大きいのですが、いったん心に火がついた子どもたち自身の成長ぶりは、目を見はるものがありました。

この授業の成果は、年末に行われたエコプロダクツ2013の「グリーンパワーブース」に組み込まれることになります。資源エネルギー庁からエネルギー大使として任命され、手作りのパネル前でのプレゼンテーションと寸劇を、今度は学校関係者ではなく、一般の大人たち(来場者たち)に向けて行うという一段高いハードルを与えられ、これも見事に、そして一生懸命にクリアしてくれました。

それぞれの子どもたちが見せてくれた素晴らしい熱意とパフォーマンスに、こころからのありがとう!を贈りたいと思います。

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さらに先週、さいたま市立道祖土(さいど)小学校に行ってきました。
『グリーンパワーブック』の寄贈プログラムにご応募いただいた横須賀先生から、
6年生の理科の授業で使うから見に来ませんか? というお誘いをいただいたのです。

グリーンパワーブックの目的は本を作ることではなく、本を通じて
エネルギー教育に熱心な先生とのつながりを作っていくことです。
その最初の機会となる貴重な見学でした。

授業の内容は、ペットボトルを使った風力発電機を工作で作り、その仕組みを学ぶこと。続いて映像を視聴し、本を読んで、これからの日本のエネルギーはどうあるべきか、などの話し合いをするもの。

子どもたちは感想文に「今後、役立てることがあったら、何か手伝いたい」、「楽しくて、しかも環境にいいものがたくさん作られるといいな」など前向きな気持ちを多く寄せてくれました。

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ほかにも、現在応募いただいている学校はさまざまで、総合学習、理科、社会科などの授業で使われるほか、なかには英語の授業で使う先生も! 授業の進め方も千差万別、それぞれの先生が工夫を凝らして取り組んでいる様子が伝わってきます。

現在も希望校に寄贈するプログラムは継続中です。
ぜひご応募をお待ちしています。

学校寄贈プロジェクトリーフレットはこちらから

学校や地域で再生可能エネルギーの学びの場をどのようにつくっていくのか、これから先生たちとも対話を重ねて、じっくり考えて行きたいと思っています。
(上田壮一)

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