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#33   アトリエ インカーブが切り拓くアウトサイダー・アートの未来

描くことやつくることがとても好きで才能もあるのに、人知れず創作を続けているため世に知られていない人々はいつの世にもいます。
大阪市にある「アトリエ インカーブ」は、日本で初のアート・デザイン分野に特化した福祉施設。ここに通い、制作を行う知的障害があるアーティストたちの作品がいま注目されています。美術教育を受けずに自由に作品を生み出し続けている彼らは、「*アウトサイダー・アート」を扱うニューヨーク屈指のギャラリーと契約し、デビュー。海外の著名なアーティストやコレクターに賞賛されました。
先頃、東京で帰国報告展があり、日本でもアウトサイダー・アートが注目され始めています。大阪のアトリエを訪ね、制作の現場を拝見しつつ、代表の今中博之さんに「アトリエ インカーブ」がめざすものについてお聞きました。

 

*アウトサイダーアート フランスの画家ジャン・デュビュッフェが20世紀半ば以降に提唱した「アール・ブリュット(生の芸術)」を、イギリスの著述家ロジャー・カーディナルが「アウトサイダー・アート」と翻訳しました。アートとはもともと個人的発露から始まる表現活動といえますが、美術史に連なるアートのメインストリームに対し、正規の芸術教育を受けていない人々のアートをそのように呼んでいます。結果として知的障害・精神障害・霊媒師などが制作するアートも含んでいます。

参考URL
アール・ブリュット
アウトサイダー・アート


CONTENTS

◆ アトリエ インカーブとの出会い
◆ 大阪へ。アーティストたちの制作風景
◆ 代表・今中博之さんに聞く01
   ─ アウトサイダー・アートとの出会い

◆ 代表・今中博之さんに聞く02
   ─ アトリエ インカーブというデザイン

◆ アート・パトロネージの方法


湯元光男「川川川トリ」2005




アトリエ インカーブとの出会い

ある日、書店で、青い表紙の洋書のような画集を手に取りました。都市の回廊のような大画面、眼に飛び込んで来る色彩、ファッション雑誌の広告のモチーフ……。それは大阪市郊外にある福祉施設「アトリエ インカーブ」のアーティスト、寺尾勝広、湯元光男、吉宗和宏、新木友行、武田英治の作品集でした。


武田英治「つっかけ」2004

代表の今中博之さんが、アウトサイダー・アートを扱うニューヨーク屈指のギャラリスト、フィリス・カインドにコンタクトを取ったところ、2005年にニューヨークで開催される「アウトサイダーアート・フェア」に出品(フィリス・カインド・ギャラリーからの出品)が決まり、キキ・スミスら名高いアーティストやコレクターが作品を購入、大きな反響を呼んだことが綴られています。


吉宗和宏「フィルムタイプ」2006

そのような動きについて何も知らなかったと思っていた矢先、ニューヨーク・デビューを成功させた彼ら5人の日本で初めての展覧会が、2007年3月14日(水)・15日(木)の2日間、東京・汐留の電通ホールで行われました。下描きからじっくり時間をかける武田さんのポップでいてもの静かなタブロー、湯元さんの描く建物や鳥は詩的で、何色もの色のグリッドでゆらゆら生気を発しています。

会場風景。ドキュメント映像も流れています。画面に映る吉宗和宏さんのミニマルな抽象画。

アーティスト・ライブ(公開制作)も行われていました。

寺尾勝広さんの公開制作。家業の鉄工所の溶接工だった寺尾さんは、鉄ばかり描いています。この日も「(展覧会のために)東京にクルマで来る間にな、富士山の近くで見た鉄橋」と話しながら、大きなベニア板に鉛筆で鉄橋を描いていました。定規使いとフリーハンドでしばらく描き、板を回して反対側から中心へと攻めていくため、どこから見ても天地(上下)のないうねりができるようです。製図と絵画のはざまのようなシャープでいて味のある作品。作品:「いろんなたてものデザイン」2006

新木友行さんの公開制作。プロレス雑誌を参考に、技が展開する躍動的な場面を描き、色鉛筆で塗り込めています。アウトサイダー・アーティストには珍しくコンピュータグラフィックスも手がけます。動きや2人の人間の絡まりなど、絵が面白いだけではなく、とにかくプロレスが好きだという情熱が伝わります。永田裕志選手が好きだそうで,プロレスの明るさや開放感を捉えていることがわかりました。作品:「ローリング・ソバット」2006

現代美術のアーティストたちの作品と共通する部分もありそうなのですが、よく見ると重ならないのです。アウトサイダー・アートだからいいというわけではありませんが、一人ひとりが違っていて良く、ちょっと参ったなと思いました。




大阪へ。アーティストたちの制作風景

翌週、近くに大和川の流れる大阪のアトリエを訪ねました。寺尾さんと新木さんは「新作ができている」と教えてくれました。新木さんはニコニコして反応を見ています。「今度は(2メートルくらいの)大きいのを描きたい」と机ふたつ分両手を広げました。レスラーは2つの組み合わせで4人描かれ、顔はマスクではない創造されたもの。何組も連続して描く構想があるようです。寺尾さんは、今度は小さいのを描いていてスタッフにパネルの用意をお願いしていました。二人ともさらにモチベーションが上がっていました。

「大きいの描いたと思ったら、急に小さいのになるから、大変やな」とパネルを用意するスタッフを気遣いながら、気持ちのはやる寺尾さん。

吉宗さんは、会った人に住んでいる場所を聞き、靴下を見たがります。私と編集者の靴下は期待に添えなかったみたい。曖昧さは苦手で、筋道を立てて覚えるそうで、200色を超える色の組み合わせをノートにびっしり描いていました。淡い色は曖昧な感覚や感情の表現とは違うのかもしれません。

吉宗さんはファッション誌を参考にしていますが、どこを描くかトリミングがうまかった。いろいろなことが気になるのか、複数のスタイルを持っています。 作品:「ふかだきょうこさんのあしのはだし」2005

アトリエでは、絵画、紙を使った立体、ゴム版やエッチング、陶芸、フエルトなどさまざまな制作を行っていました。

北池裕一さんの静かな花の絵。机の脇に記念写真や映画の場面のコピーを貼っていて、集合が好きなように見えたので、よけいに印象に残りました。

人物をひとり描き、背景と同じ色彩を施す内野真行さんの作品。NHKの歌番組のスタジオもつくっています。

自らも制作活動を行っている専門的なスタッフがサポートしていますが、アーティストたちには指導もアドバイスもしないそうです。今中さんは、「指導者の傾向に染まりやすく、いいねと言うと、その同じ技法に固執して何年も繰り返してしまうので良くないんです」と語っていました。現代美術のアーティストのように、吸収して壊すということはできないのだから当然かとその純粋性を思いながら、歴史を乗り越えなければならない現代美術のアーティストの困難についても考えていました。

打揚彦行「赤ちゃん」。2003 アレックス・カッツみたいなおしゃれなポートレートを描いていましたが、最近は身近な人を大胆に描いています。

塚本和行「アサガオ」。2005 電気スタンドやテーブルのカレーライスなど、小さな世界があり、マーカーづかいも洒脱です。




代表・今中博之さんに聞く01
   ─ アウトサイダー・アートとの出会い

自らも先天性両下肢障害を持つ今中博之さんは、空間デザイナーとしてバリアフリーデザインやユニバーサルデザインの実践的な研究を行っています。アトリエ インカーブはその大きなひとつの挑戦です。今中さんに、福祉とアート、アートとデザインといった異なる領域をどのように組み合わせてそれぞれの力を発揮させ、風通しの良い社会(空間)を切り開こうとしているのか尋ねました。

空間デザイナーの今中さんが、アウトサイダー・アートに関心を持つようになったのには、何かきっかけがあったのでしょうか。
「空間デザインの仕事で、オリジナルとは何か考え込んでいたときがあったんです。例えば、数カ月前に本で読んでいたことでも、それを忘れて自分の力で閃いたかのように思ってしまうことがある。それは先人が残したものを分けてもらっているのであってオリジナルではないんです。僕自身人まねと思っている仕事に過大な評価をいただくこともあり、嫌になって、勤めていた乃村工藝社を1年間休職して旅に出ました。その旅で郵便配達夫のシュバルが石を積み上げてつくった理想宮やアール・ブリュット・コレクションに行き、これだ!と思いました。到底追いつけない世界があり、僕のオリジナルなど必要ないという晴れやかな気持ちになったんです

それが、アトリエを立ち上げるという行動に結びつくまでには何があったのですか?
「復職してデザインとは何か真剣に考えたんですね。そのとき、知的障害がある方が絵を見せに来てくれて、神様はなぜこの人を僕の前に現してくれたんだろうと思ったんです。それから家に知的障害がある絵の好きな人が集まり出して、家に入りきらなくなったので、同じ考えを持つデザイナーと倉庫を借りました。『アトリエ万代倉庫』と名づけて彼らと一緒にすごしていたのですが、やはり創作に適したスペースが必要だろうとアトリエ インカーブをつくることにしたんです」

アトリエを立ち上げる際に基軸にしていたことは何ですか?
「まず、日本では彼らの作品のすごさがわかってもらえず、なぜこんな力を持った人々がその力で生きられないのかという憤りが原動力となっていました。当時仲間と話していたのは、彼らにはすでにオリジナリティがあり、僕らよりレベルの高い人たちに教育の名の下に指導することなど何もない、それよりも、彼らが思い通りに創作できる環境を整えることが大事だということでした。こちら側の論理を教えるのが教育。そうではなく、私たちが彼らの流儀や言葉を学ばないといけない。しかしながら今日の芸術の解釈や評価は、「印象派ね」とか皆がわかる事項から始まります。だから彼らのアートを広め、自活できるようにしたいけれど、アウトサイダーアートのとがったクリエイティビティがマーケットに乗るか、簡単ではないなと思いました」

欧米でも、歴史の本流にのっとった作品の完成度を重んじる傾向がまだまだ残っていますよね。だからこそ、逸脱したアウトサイダー・アートが注目されるともいえるし、健常者とか障害者とか関係なくストレートに作品の良し悪しで判断されると思います。
「そうですね、反応が早かったです。日本人は、悲しいけど欧米の評価がつくと態度が変わりますね。2005年に、本場のギャラリストに見てもらおうと思い立って、作品のCD-ROMを同封し、数カ所のギャラリーに手紙を送りました。そうしたらアウトサイダー・アートに造詣の深いニューヨークのギャラリスト、フィリスさんに気に入ってもらえて。アートフェアでもその後にフィリス・カインドギャラリーで行われた寺尾の個展でも、作品はどんどん売れていきました。自分のためにつくっていたものが、世界中のたったひとりにでも通じたときの喜び。インカーブの作家は、貨幣価値だけではなくて人が喜んでくれたことがうれしいんです」




代表・今中博之さんに聞く02
   ─ アトリエ インカーブというデザイン

知的障害があるアーティストが自分の力で生きるために、海外のマーケットに作品を乗せようという試みは画期的だったと思います。アトリエの運営など、目的の実現に近づくためのアイデアが綿密に練られているんですね。
私はアトリエ インカーブという活動自体をデザインだと思っているんですよ。アーティストたちの収入の確保を第一に考え、そのためにはどうすればよいか。彼らにとってどのような環境が必要か。枠組みをつくり、社会に機能させていくことがデザイナーとしての私の仕事です」

枠組みづくりにおいて考えたことは?
まず事業体として社会福祉法人「素王会(そおうかい)」を発足し、2002年9月に法人認可を受けてから、2003年4月にアトリエ インカーブを設立しています。社会福祉法人にしたのは、このような分野では、公立と民間が半々で行うべきだと思うからです。NPO法人は急速に広まりましたが、資金を集めるのも困難だし、働く人の負担が大きくて、継続が難しい。社会福祉法人という、税金を大きく投入する広義の公益法人というのは日本独特のシステムであって、もっと利用されていいと思います。才能を育てることに国の資金が投入されるべき。結果的に国に還元されるのですから。公的機関のバックアップがあると、事業を進めるうえでもセーフティネットになります。初期投資はまだ回収できていませんが、目の前の利益を求めてガツガツやらなくてすむので、志の高い人が集まるし、長期的な見通しができますから

社会との接点をつくるために具体的にはどのようなことを考えていますか?
「先日の東京での展覧会では、企業からも行政からも、電通とインカーブが組んだことに対して反響がありました。もともとアートやデザインは電通の本業ですし、CSR(企業の社会的責任)に対する初の取り組みでした。議員との勉強会もあります。また、金沢美術工芸大学と連携をとり、文部科学省「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)」に申請を行います。東京藝術大学をはじめとした国公立の芸術系大学に対し、美術・デザイン分野から福祉に参画し、アウトサイダー・アートの研究や「教育をしない教育」を担う人材を育成する分野を設けてほしいと提案しています。

スタッフにはどのような人が集まっているのですか?
「インカーブのスタッフは福祉だけを学んだ人間ではありません。絵画、版画、陶芸など幅広く、アートの視点から入って来ています。ここに通うアーティストたちは、施設を利用するクライアント(お客様)であり、スタッフは、クライアント(アーティスト)によりよい環境を提供するのが仕事です。彼らの正直な姿を見ながら、アーティストとして尊重し、支えるというだけではなく、ひとりの人間として彼らを守りたいと思うようになるようです」

写真左から、スタッフの左海さんと作家の濱さん、北池さん、山岡さん。田中さんと播本さん。陶芸スタッフの森地さん。

これからめざしていることは?
「アーティストたちやアトリエ インカーブの活動は広く知られるようになりましたが、ここで肝心なことは勢いに乗りすぎないことです。開く一方では、作品の質においても精神的にもつぶれてしまうので、今後も閉じながら開いていこうと思っていて。そうした舵取りもデザインだと思います。ここはギャラリーではないので作品の売り上げによる収益は全額アーティストへ収めます。いつかアーティストが独立して生活できる日もくるかもしれない。アーティストが独立してスタッフを雇用するくらいになればと思うんです。大変なことですが、そこまでいけば、社会が大きく変わったといえますよね


お話を聞いて、アトリエ インカーブをケーススタディとして、アウトサイダー・アーティストの、アートを業とした自活をめざす動きが全国に広がればと思いました。ただ、その際に、アーティストの独自性に適応する場や枠組みをまた新たに創造することが肝心であり、そのことが福祉・アート・デザインを通じて社会の活性化につながるのではないでしょうか。




アートパトロネージとは何か、その方法

アーティストたちの才能と芸術性に魅力を感じた企業や個人には、作品の購入をはじめ、会場の提供、広告媒体やプロモーションなどに作品を利用するなど、財政面以外にもアーティストを「育てる」さまざまなパトロネージの仕方があります。福祉・労働・教育などの公共機関には、アーティストたちが生活するために必要な保障や法制度の整備など彼らを「守る」パトロネージが考えられます。

プロダクトグッズもあります。スタッフが作品をデザイン化し、グッズとして社会へ発信しているため、収益はアーティスト皆でシェアされます。クッションカバーやトートバッグ、ポストカード、ブロックパズルやプロレスマンなど魅力あるものたち。東京・六本木にあるデザインショップ「リビングモティーフ」、原美術館や国立新美術館のミュージアムショップなどで取り扱っています。「Think the Earth SHOP」でも販売しているので、のぞいてみてください。


※2007年の展覧会は、8〜10月にワシントンでの開催が予定されています。画集『ATELIER INCURVE』(発行:ビブリオインカーブ)でも作品を楽しめます。

作品の販売はインターネットでは扱っていませんが、アーティストたちのプロフィールと作品もアトリエ インカーブのウェブサイトに詳しく載っています。
アトリエ インカーブ 






白坂ゆり 略歴
「WEEKLYぴあ」編集部を経て、1997年よりフリーライターに。『BT/美術手帖』、『ARTiT』など、主に美術ジャンルを中心に寄稿。東京都江東区の食糧ビルで行われた「佐賀町エキジビット・スペース」のクロージング「佐賀町2000-希望の光」、解体前の「エモーショナルサイト」展の広報を務める。ほかに、『粒子(ミナ・ペルホネン)』(ブルースインターアクションズ)、『散歩の達人ブックス 東京ブックストア&ブックカフェ案内』(交通新聞社)などに取材執筆。『越後妻有アート・トリエンナーレ2006カタログ』(美術出版社)を編集。
特定非営利活動法人AMP(ART MEETING POINT)会員

取材:白坂ゆり
編集:Think the Earthプロジェクト 岡野 民