Think the Earth「忘れないプロジェクト」では、「忘れない」をテーマに、
被災地で活動する団体と、企業やNPO、アーティスト、クリエイターなどとともに、
オリジナルの支援プログラムを作ってまいります。
「大友克洋GENGA展」は、そのプログラム第1号です。
2012年4月9日から5月30日まで、宮城県出身の漫画家 大友克洋さんの原画展が行われ、入場料収入の3分の1とYahoo! Japan チャリティオークションの落札金額が、「忘れないプロジェクト」を通じて6つの団体に寄付されました。寄付の使い道、そして震災から1年半が経った“いま”の話をお聞きするため、Think the Earthスタッフが寄付先の6団体を訪問。「(原画展の開催は)3.11 東日本大震災を抜きには語れない」という大友さんの思いは、しっかりと現地に届いていました。
『大友克洋GENGA展』がThink the Earthとともに立ち上げた『大友克洋GENGA展×忘れないプロジェクト』によって、2011年3月11日の東日本大震災の復興活動を行う6団体に「忘れないプロジェクト」を通じて下記の通り寄付を行いましたので、ご報告します。
●原画展入場者数 | 48,748名 |
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●寄付総額: | ¥24,007,716- |
●6団体への寄付総額: | ¥21,676,756- |
(寄付総額の10%を忘れないプロジェクトの諸経費に充てました。)
※原画展来場者が投票で寄付先を選択し、その票数に応じて寄付額を決定。
オークション、投票がなかった分の入場料からの寄付金は6団体に対して均等に分配しました。
寄付のしくみはこちら
内訳は下記の通りです。
福島の子どもの外遊び支援ネットワーク | ¥8,283,524 |
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特定非営利活動法人 田んぼ | ¥2,797,182 |
北浜わかめ組合虹の会 | ¥2,641,338 |
かーちゃんの力プロジェクト協議会 | ¥2,553,905 |
ゆりあげ港朝市協同組合 | ¥2,595,119 |
特定非営利活動法人 難民を助ける会 | ¥2,805,688 |
2012年5月13日、寄付先6団体の方を会場にお招きして活動報告会を開催し、大友克洋さんも参加して現地の状況を伺いました。
当日のツイッターまとめ(togetter)
http://togetter.com/li/303146
各団体の活動報告のタイムコードはこちら
09:02 特定非営利活動法人 難民を助ける会(東北事務所長 野際紗綾子さん)
13:45 福島の子どもの外遊び支援ネットワーク(代表 橋口直幸さん)
19:31 特定非営利活動法人 田んぼ(理事長 岩渕成紀さん)
24:09 北浜わかめ組合虹の会(代表 細川周一さん)
29:51 ゆりあげ港朝市協同組合(代表理事 桜井広行さん / 早稲田大学理工学術院創造理工学部建築学科助手 日詰博文さん)
36:50 かーちゃんの力プロジェクト協議会(事務局 五十嵐裕子さん / かーちゃん 永沢利子さん)
岩手県大船渡市末崎町上山176-8
☎0192-29-3207
http://www.niji-wakame.com/
【活動内容】 岩手県大船渡市末崎町でわかめの養殖に取り組んでいる漁業者の生産組合です。震災で生産基盤のすべてを失った栽培漁業の再生に取り組んでいます。瓦礫の撤去からはじまった再起への柱として、産直ネットワークの形成を目指す「わかめサポーター制度」を広げる活動をしています。
【活動の始まり】 震災後、4月くらいから海に沈んだガレキの片付けなどを始めました。8月に津波を生き延びたわかめのメカブから種を採取し、生産の再開にこぎつけました。「虹の会」と名付けて活動を開始したのは12 月。震災前から皆で相談をしていた生わかめのオーナー制度の形を少し変えて、サポーター制度を始めることにしました。活動としては他に、漁業作業ボランティアの受け入れや漁業体験の実施も行っています。
【大切にしていること】 いざというときは助け合う仲間たちです。何よりも人と人のつながりが一番だと思っています。個性が強い仲間が多くて、ぶつかることも多いですが、それは、お互いに自信のあるものをつくっているからこそ。先日、サポーター制度の会員証を送った岡山の方が、キビダンゴを送ってくれました。ちょうど、組合員が集合する機会があったので、みんなで分けて食べたんです。桃太郎みたいに、キビダンゴを分け合って、みんなで力を合わせてやっていく、というのが、虹の会の大事にしていることです。
【目指していること】 末崎わかめを日本一にする!そのためにも地元、岩手県住田町の森林認証を受けた町産材で、倉庫を建てたい。倉庫には業務用の冷蔵庫を設置し、塩蔵わかめを年間通して出荷可能に。屋根には太陽光発電システムを設置する。地元材を使った倉庫、自然エネルギー利用の冷蔵庫を設置することで、環境に配慮した、未来型の復興再建を図りたい。そして、漁業に携わる若い世代を育て、末崎町を活性化させたいと思っています。
上)2012年3月、大船渡湾、細浦漁港にて。写真左から代表の細川周一さん、妻の細川とくさん、副代表の紀室秀則さん、会計の梅澤秀也さん。組合員は17人。その家族をあわせると、生産から加工まで、関わっている人数は40人にはなるという。 下)仮設の加工施設では、収穫後、女性たちがわかめの根や茎を切り分け、選別作業を行う。震災後1年で念願の収穫にこぎつけ、復興に向けての日々が始まっている。
福島市松川町金沢字船場3-27
コミュニティ茶ロン あぶくま茶屋
☎024-567-7273
http://www.ka-tyan.com/
【活動内容】 福島第一原発の事故で警戒区域、計画的避難区域となった飯舘村や葛尾村、浪江町など、あぶくま地域のかーちゃん(=女性農業者)たちが中心となり、ふるさとの味を守り、伝え、届ける活動をしています。現在は福島市松川町の空き飲食店だった「あぶくま茶屋」を拠点に漬物づくり、餅づくりをしています。つくった農産加工品を販売するなどして彼女たちの生きがいを取り戻し、かーちゃんを元気にする活動を続けています。
【活動の始まり】 あぶくま地域には、かーちゃんたちが地域の特産品や加工食品をつくり、販売する場所がありました。お店や農家民泊で手料理をもてなす人もいました。そこは、中山間地という厳しい自然環境の中で生きるための「仕事の場」であり、「生きがいの場」でもありました。しかし、避難生活で仲間も散り散りになり、大切にしてきた地元の食材や、加工所はすべて使えなくなりました。元気がなく「体が動かない」と聞く一方で、「一人ではどうにもならないけれど、つながれば動き出せる」「物資を貰う支援ではなく、動き出すための支援が欲しい」との声が集まり、活動が始まりました。
【大切にしていること】 村一番の元気者だった「かーちゃん」たちの笑顔と地域の絆です。かーちゃん同士はもちろん、それを支える県内外の生産者・消費者のネットワークをつくり、新しいコミュニティの場を形成したい。
【目指していること】 元気になって再び「自立」できるようになったかーちゃんが「ふるさとの味」を届けることで、地域みんなが元気になって福島復興の力になっていくことを目指しています。今後はそれぞれの避難先周辺に活動拠点を増やし、避難先の地元農家と協力して放射性物質検査体制を完備するとともに、体によいおかずをそろえた「かーちゃんの笑顔弁当」を仮設住宅などへ届け、避難者による避難者支援の活動を続けたいと思っています。
上)プロジェクト主催のシンポジウムに集まったかーちゃんたち。左・中)活動拠点の「あぶくま茶屋」でこんにゃく作りとお弁当試作。避難生活では偏った食生活で体調を崩すことも多く、かーちゃんたちが作るお弁当やお惣菜への期待は高い。 右)福島県二本松市、安達運動場応急仮設住宅で行われたイベントでふるさとの味を販売。活動が広がればキッチンカーも活用して、同じ避難者たちに届けたいと考えている。
宮城県大崎市田尻大貫 字荒屋敷29-1
☎0229-39-3212
http://npotambo.com/
【活動内容】 津波で被災した田んぼの瓦礫を撤去し、「ふゆみずたんぼ」方式による農地の復元に取り組んでいます。「ふゆみずたんぼ」方式とは、生態系と水の力だけで農地の脱塩を図るもの。水質、土質、生物多様性のモニタリングを今後10年間行い、生態系の復元力をデータによって裏付けることも活動のひとつです。被災水田の復興過程を丁寧にモニタリングした例は歴史的に存在せず、この重要な記録を後世に残したい。収穫した無施肥・無農薬の「福幸米」を販売し、地域の経済システムを支える仕組みも作りました。
【活動の始まり】 「ふゆみずたんぼ」の技術は古くから伝わる農法で、江戸時代の「会津農書」にも「田冬水」として記載されています。その「ふゆみずたんぼ」を広げる活動は震災前から行っていましたが、被災地の水田復興は2011年4月、気仙沼市本吉町大谷の一枚の田んぼから始まりました。現在は、宮城県内の4カ所(気仙沼市、南三陸町、塩竃市、石巻市)に広がっています。この方式は既に成功の兆しが見えてきています。
【大切にしていること】 人とのつながり、そして田んぼを復興しようとする集落の方々の想いです。どんなに正当な理由があっても押しつけない。被災地域の人々の想いを優先し、ひとりひとりと寄り添う姿勢を大切にしています。そして、生態系の復元力と弾性力の無限性を信じぬくこと。7世代後の子どもたちに何を残せるかを考えて活動することを大切にしています。
【目指していること】 小さな田んぼの復元をひとつひとつ、着実に行っていきたい。多くの若い学生や企業ボランティアなど、支援する人々の環も着実に広がりつつあります。その環は農地の復元だけでなく、農家の自立・再建、持続可能な経済システムの確立という「地域の営み」に繋がります。東北の田んぼの復興こそが、未来に希望を与えると確信しています。
上・右)塩竃市浦戸諸島寒風沢島では市で唯一の水田が被災。市民を中心とした田んぼの復興と調査が真冬の1 月でも続く。3月には、全国から集まった高校生や大学生の力で復興作業が続けられた。田んぼに水を張ることで、塩分が抑えられ生きものも戻ってくる。 左)気仙沼市大谷の田んぼの復元作業。小石やガラスの欠片を分別するなど遺跡発掘のように慎重に作業を行う。 中)被災直後の南三陸町入谷の田んぼ。
福島県耶麻郡猪苗代町大字長田
字東中丸3449 番地31
☎0242-72-1181
http://www.fr-land.com
【活動内容】 福島市や郡山市など放射線量が高く子どもが多い地域で、外遊びを必要としている保育園や幼稚園の子どもたち、および保護者を借り上げバスで送迎し、放射線量の低い地域(主会場は猪苗代町)で1日思いっきり外遊びを楽しんでもらっています。
【活動の始まり】 震災直後の3月いっぱい1次避難所となった猪苗代町総合体育館で「子どもの遊び場」運営をし、これから長期にわたり外遊びを制限されるであろう子どもたちと直接関わったことです。感受性の強い幼児期の自然体験は大切です。除染がなかなか進まない中でなにができるのか。せめて週末だけでも外で遊ばせてやりたい…… そこで当ネットワークを7月に設立しました。2011年の活動回数は34回。愛称「お外で遊び隊」として、猪苗代町「昭和の森」と須賀川市「ムシテックワールド」で森遊びや木の実ひろい、工作などを行いました。冬にはスキー場での雪遊びも。これまでの活動で約1100人の子どもが本来の「お外で思いっきり遊ぶ姿」を、たった1日とはいえ取戻せていて、子どもらしいはじける笑顔と躍動的な動きを見せてくれました。「ハッシー、今日はお外で遊ばせてくれてどうもありがとう!」。子どものひとりがくれた言葉です。資金があれば回数が増やせ、より多くの子どもたちに外遊びの機会を提供できます。また、1週間以上の保養キャンプなど、支援のバリエーションを充実させることもできます。
【大切にしていること】 子どもの外遊びを支援することで、本来保証されるべき外遊びを通した健全な育ちの場になれればと願って活動しています。
【目指していること】 福島の将来への希望が弱まっている子どもたちに目の前の楽しみを用意し続けることで、「希望のある未来へ向かって生きる力」を与える一助になりたい。外遊びを制限される状態は続くと思われ、長期的に取組んでいく必要を痛感しています。
上)福島第1原子力発電所事故の影響で、普段は外遊びが制限されている子どもたち。冬に行われた雪遊びの様子。 左)2011年11月、猪苗代町「昭和の森」にて。拾ったどんぐりや松ぼっくりで工作も行われた。 中・右)猪苗代リゾートスキー場にて。ソリ遊びをしたり、雪だるまをつくったり。「子どもたちの笑顔が答え。最低でも季節毎に1回以上、外遊びのための移動保育の支援がしたい」と橋口さん。
宮城県名取市美田園7-1-1
閖上さいかい市場G棟2F
☎022-395-7211
http://asaichi.yuriage.jp
【活動内容】 毎週日曜日の朝6時から11時まで、名取市のイオンモール名取エアリの駐車場で「ゆりあげ港朝市」を開催しています。八百屋、魚屋、加工食品、飲食店など出店数は40 店。鮮魚を扱う場合は、手洗い設備などの要件をクリアした店舗で保健所の食品営業許可を得る必要があります。震災から1年は特例でテントでの営業ができましたが、その特例も終了し鮮魚店のプレハブ店舗6棟と設備を購入。水道工事なども組合で行っていきます。
【活動の始まり】 閖上地区は津波被害が大きく、建物の基礎部分のみを残して更地になってしまいました。朝市会場だった場所、鮮魚棟や倉庫も流され、周囲の民家や店舗も流されてしまいました。そんな中、震災10日後くらいに、以前朝市に店を出していた南三陸町の海産物仲買人さんの安否が分かり、やっと電話で話せたとき、「俺は生きてるぞ! 朝市やめないでくれ!」と励まされたんです。そして3月27日(日)にゆりあげ港朝市を再開。当時はガスも水道も復旧していない状況でしたが、組合員を中心に10店舗が店を出しました。
【大切にしていること】 地元閖上のお客さんです。地元のお客さんは魚の味を知っています。その人たちが買ってくれる商品、納得する商品を提供すれば、自然に地元以外の人も集まります。もちろん、朝市の対象はあくまで地元閖上のお客さんなので、高い利益率を設定している他の観光朝市と違い、手に取りやすい価格をつけています。
【目指していること】 閖上に戻ることです。朝市が最初に閖上に戻る。朝市が戻れば他の店舗や住民も閖上に戻ってくると思います。「俺らが最初に戻るから、後についてこい」という意気込みで続けています。今後は、震災前と同様の規模では経営が難しいため、朝市の出店数を120店程度まで増やし、より多くのお客さんに来てもらうことが必要と感じています。
上)朝市ではいつも、魚をさばいてお皿に並べてと大忙しの組合代表理事・櫻井さん。震災前、自転車で通ってくれていた常連さんが気軽に来られなくなったのが残念だと語る。 左)開店前のイオンモール名取の駐車場を借りた現在の朝市会場は大にぎわい。1年前はやる気を失っていたが、最近になってお店を再開した人もいるという。 中・右)地元のお客さんを大切にしているから、店頭には安くておいしい食材が並ぶ。
東京事務局:東京都品川区上大崎2-12-2
ミズホビル7F
☎03-5423-4511
http://www.aarjapan.gr.jp/
【活動内容】 仙台事務所と盛岡事務所では震災から1年が経過し、現在は主に高齢者と障害者の仕事づくり、生きがいづくりを支援する活動を行っています。高齢者支援では、農作業をする機会を失った被災者を対象に、菜園サークルの結成を呼びかけ、参加者を募っています。ビニールハウスや農機具なども提供しています。障害者支援では行政の支援の届きにくい岩手・宮城・福島の障害者施設の設備、備品の提供、修繕などの支援を行っています。
【活動の始まり】 仮設住宅における60歳以上の高齢者の割合は約40%。その多くが震災前は農家として、また家庭菜園を通じて野菜や花を育てていました。津波で農地を失い、自力で農作業を再開することは難しく、仮設住宅に避難した方の中には、引きこもりがちになり、孤立するケースも多く見られます。農作業を通して土に触れることは、鬱や生活不活発病の解消や予防になり、農作業がきっかけで外出し、新たなコミュニティに参加をすることは、孤独死を防ぐことにも繋がります。被災した障害者は、通っていた福祉施設が被災したことで活動の場を失いました。家族は十分な設備の整っていない仮設住宅での自宅介護を強いられており、福祉施設の早急な整備が求められています。当会ではこれまで約50カ所の福祉施設を整備してきました。
【大切にしていること】 支援から取り残される人を作らない。要援護者の立場にたった支援を心がけています。
【目指していること】 仮設住宅の菜園サークルで野菜を自給し、収穫祭などのイベントを開催することで地域参加型の復興を促進させること。障害者支援では震災前と同様に地域の一員として社会参加でき、家族や介護者が仕事や活動に戻れるようになること。今後は福島県内にも事務所を開設し、販路を断たれ、売り上げが激減している社会福祉作業所の販路開拓も行っていきたいと考えています。
上・中)支援先のひとつ、福島県郡山市の共働作業所にんじん舎の農園にて。障害者にやりがいのある仕事を作るために設立された共同作業所。土の入れ替えなどの除染に取り組み、ハウス栽培へシフトし始めている。 左・右)にんじん舎の養鶏場前で。食品残渣や廃棄油などを利用した循環型養鶏で知られていたが、資材の多くが汚染により使えなくなったため、震災後、新たな循環の仕組みづくりを模索している。
写真/山﨑智世(北浜わかめ虹の会、ゆりあげ港朝市協同組合、特定非営利活動法人難民を助ける会)