
第11話 100年の水の物語 映画『アレクセイと泉』

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100年の水の物語
映画『アレクセイと泉』 |
2004/12/29 |
人気のない静かな森の中をカメラが進み、放射能を測定するガイガーカウンターが静かに鳴り響きます。
その数字の意味はよくわからないけれど、今から18年前の1986年4月26日に、旧ソ連(現・ウクライナ共和国)で起こったチェルノブイリの原発事故によって放射能の高濃度汚染地域となり、村人が移住させられ、地図上から消えた村があることを知ると、少しだけその意味が伝わってきました。 映画の舞台はそんな村のひとつ、現在のベラルーシ共和国東南部の小さな村、ブジシチェ村。事故発生時、600人いた住人の多くが移住勧告で村を出た後も、村を離れずに生活を続ける56人の村人と村の中心に位置する “泉”のお話です。
森も土も放射能を浴びてしまったのに、人は生きていけるのでしょうか?住人たちも、不安を抱えていないと言ったら嘘になるでしょう。でも、この村にはちょっとした“奇跡”が存在するのです。こんこんと湧き出る“泉”の水からは、事故後、何度調査しても放射能が検出されないのです。村の人に言わせると「100年前の水」だから。本当に「100年前」の水かどうかはわかりませんが、地下に蓄えられた水がじわじわと湧き出しているので、その水は放射能の影響を受けていないというのは納得のいく話です。もしかして100年後には、放射能が検出されているかもしれません。スケールは少し違いますが、石油や石炭などの地下資源が長い長い年月をかけて生成され、現在の私たちの生活を支えていることを思い起こさせます。

淡々とした日常の中心にどっしりと存在する泉。泉で水を汲み、洗濯をし、神に祈る人々。そのひとつひとつは何も特別なことではないのですが、そこからは「汚染されていない水から人々が恩恵を受けている」という物理的な理由だけではない、もっと根本的な生命と水との関わりを感じます。「もしかしたら、泉が僕を村にとどまらせたのかも知れない。泉の水が僕のなかに流れ、僕を支えている」・・・村に唯一残った若者、アレクセイの言葉にそのヒントが隠されているような気がします。

「アレクセイが実にいい青年なので、予定より(曲を)多くつくってしまいました」と音楽担当の坂本龍一さんが語っているように、泉と並んでこの映画のタイトルにもなり、ナレーションも務めている青年アレクセイの、ほのぼのと温かい人柄も、この映画の大きな魅力です。ドキュメンタリーなのに、まるで、おとぎ話のようで、観終わった後、不思議で幸せな気分になります。そして、時々ふと思い出しては、「彼等も今頃、冬を越しているのだなぁ」と想像してしまう・・・そんな映画です。
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| 文:Think the Earthプロジェクト 原田 麻里子
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