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難民

 難民という状況を、どうすればリアルに想像できるでしょうか。

「いま、あなたが学校や会社にいるとします。突然、紛争が発生して、家に帰ることができなくなり、パスポートも、着替えも持たずに、いますぐ別の国に行ってくださいと言われる。親や友達ともはぐれ、故郷から遠い難民キャンプでの苦しい生活が始まって、『1ヶ月ぐらいで帰れるかな?』と思いながら、いつのまにかどんどんと時間が経ってしまう。そのうち結婚して、子供も生まれる。それでも状況は変わらない。いつしか、10年以上の歳月が流れる。自分の力ではどうしようもなく、ただひたすら、祖国の自分の家に帰れる日を待っている・・・」

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日副代表の岸守さんは、難民の気持ちを想像してもらうために、こんな風に説明すると言います。実際に、この現実を経験している人が、いま世界に2000万人以上います。

 たとえば、ケニアのスーダン国境に近い、カクマ難民キャンプ。スーダン内戦によって発生した難民を保護する目的で1992年に設立されました。15年たった今もスーダン人をはじめ、ソマリア人、エチオピア人など、8万人の人たちが一緒に暮らしています。現在も、キャンプ閉鎖のメドは立っておらず、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、難民の保護と、テントや物資、教育などの援助を行い、世界食糧計画(WFP)が食糧の支給を行っています。また、世界各国のNGOが、国連のパートナーとなって、職業訓練や教育など様々な支援活動を行っています。タイとミャンマー国境や、ネパールとブータン国境など、難民が長期で暮らしている場所が、他にもたくさんあります。

カクマ難民キャンプ
カクマ難民キャンプの子どもたち。難民キャンプで生まれ、祖国スーダンを見たことがない子どもたちも多く暮らしている。
PHOTO:UNHCR

難民問題の変化
 第二次世界大戦が終わったあとに設立された国際連合(国連)において、難民の地位に関する条約が制定されたのが1951年。現在、146カ国が加盟しています。
 難民問題は、最初は東の共産主義国から西の豊かなヨーロッパ諸国に逃げてきた人たちを保護するというものでした。60年代、70年代に入り、ヨーロッパだけでなく、アフリカやアジアにまで拡大し、80年代には、冷戦が激しくなって、アメリカとソ連が戦争をする代わりに、代理戦争と呼ばれる地域戦争が増えました。その結果、たとえばアフガニスタンや、アフリカ、中南米などで、難民が発生するようになりました。90年代は、冷戦が終結し、難民問題は終わるという期待もあったのですが、現実には難民が増えています。戦争の性質が、国家間の対立から、内戦になり、民族間、宗教間の対立に変わったことで、国の外に逃げて難民にすらなれない国内避難民が増えました。さらに、紛争が終わって帰還した人たちも、帰れる家が無くなっていたり、安全が確保されないなど、支援が必要な状態が続きます。このように難民問題は、複雑化し、長期化しているのが現状です。

難民の受け入れについて
 実は「難民」になることも大変なことです。紛争などから逃れてきて、別の国にたどり着いても、「難民」として認めてもらうには、申請を出して、審査を受ける必要があり、認定されるまでに数年間かかることもあります。認定されないと強制的に危険な本国に戻されてしまう場合もあります。認定を待つ間は、生活の保障もありません。こうした宙ぶらりん状態の庇護希望者を支援するNPOもあります。  アメリカやイギリス、カナダなど年間に数万人の難民が認定される国もありますが、日本のように難民受け入れの審査が厳しく、年間に数十人しか認定されない国もあります。左の地球儀で<難民受入れ状況>をクリックしてみてください。

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