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農耕拡散:農耕民の移動

 1万年ほど前、気候が安定した時代になり、人類は農耕を始めます。農耕民の移動は、狩猟採集民とは性質が異なります。狩猟採集民の生活は環境に依存しているために、氷河期と間氷期の違いなど、主に環境の変化によって移動が起こります。一方、農耕民の場合は、人口が増えると農耕地を広げるために、作物を持って周辺に耕作に適した場所を探して移動していく動きになります。  左の地球儀では、小麦、稲、トウモロコシの農耕起源地と、そこからの移動経路をプロットしています。

 農耕民が移動すると、狩猟採集民が暮らす世界に入っていくことになります。この時、狩猟採集民との関係がどうであったかも、分子人類学のテーマです。農耕民が入ってきた時に狩猟採集民が農耕を受け入れたのか、それとも農耕民が増えてきて狩猟採集民が駆逐されたのか、正確にはまだよくわかっていません。ただ最近の研究では、農耕民と狩猟採集民の融合は平和的に進んだケースが多かったのではないかと考えられています。現在ヨーロッパに住んでいる人たちのDNAの系統は4万年くらい前まで遡れる人が多くいます。つまり狩猟採集民のDNAは駆逐されることなく、ちゃんと現代人にも残っていることが明らかになってきているのです。

 篠田博士の著書『日本人になった祖先たち』によれば、日本の縄文人と弥生人についても同じことが言えるようです。一般に征服による場合、男性のY染色体DNAが多く入ってくるのですが、縄文人のグループのY染色体が著しく減ったという形跡は見つかっていないのです。このことは、大陸から渡来した弥生人が縄文人を武力で征服したのではなく、平和的に融合していったと考えないと説明できないといいます。

 分子人類学は、20年ほど前から発達した研究分野ですが、その短い時間に、多くの新しい事実を明らかにしてきました。解析技術が進歩し続けていますし、解析のための費用が下がれば、さらに多くの驚くべき発見を私たちにもたらしてくれるでしょう。「私たちはどこから来たのか、何者なのか」という普遍的な問いは、これから10年の間に格段とクリアになっていくのかもしれません。

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