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専門家に聞いてみた!

篠田謙一さん 国立科学博物館

Q: 分子人類学の魅力は?

 人類学という学問は発掘がベースになっていて、たとえば骨が出てくると、その骨の持ち主がどんな人だったのかということを知ろうとする学問なんです。骨に語らせているんですよね。どんな病気で死にましたとか、何歳くらいで亡くなりましたとか、子供を何人作りましたとかもわかったりするんですよ。そこからDNAを取り出すと、さらにいろんなことがわかるんですよね(笑)。この人はどこから来たとか、この人とこの人はどういう血縁関係だったかとか。さらには今、遺伝子の働きを分析することによって、どんな性格だったかまでわかるかもしれない、というところまで来ています。魔法使いが死んだ人を蘇らせて語らせる寓話がありましたが、それと近いことをサイエンスでやっているような面白さがあるんです。

Q: 最新の研究は?

 最近はミトコンドリアやY染色体だけでなく、核DNAの地域的な違いもわかるようになってきました。核のDNAまで分析できるようになると、「人間っていったいなんだろう」ということを、遺伝子から考えることができるようになると思います。

 これまではゴリラやチンパンジーと比べて、人間と猿の違いってなんだろう、ということを考えていました。ところが私たち現生人類はすごく新しい存在で、今から15万年から20万年前にアフリカで誕生したのだということになると、その「私たち」と、それ以外の人類との違い、つまり進化の「最後の一歩」は何だったんだろうということが、すごく気になってきます。

 ネアンデルタール人は40-30万年前にヨーロッパで誕生して、3万年前に滅んでしまいます。ところが、あとからアフリカから出ていった私たちは現在、ヨーロッパに限らず世界中に68億人もいるわけです。その差はどこにあるのでしょうか。実はつい最近になって、ネアンデルタール人の全ゲノムを解析するという研究がサイエンスという雑誌に載りました(2010年5月)。これはネアンデルタール人と私たちの差がどこにあるかということが、遺伝子レベルでわかるかもしれないということです。このことは、現生人類の遺伝的な本質は何か? という話につながります。現在の研究は、そういうところまで踏み込もうとしています。

Q: 分子人類学が明らかにした新しい人類像とは?

 15万年前に誕生した現生人類は、その後、遺伝的な枠組を大きく変えていません。ですから大事なことは、どんな時代も、今の僕らと能力的にはあまり変わらない人たちが動いていたっていうことなんですね。とかく「原始人」というイメージで語られがちですが、実は全然そうではなくて、遺伝的なハードウェアについてはアフリカを出たところでほぼ私たちと同じレベルになっていたのです。このことは、世界の文化には優劣はないという説明の、生物学的なバックボーンとなると思います。

 今から30年、40年前は、形態で人類について考えていました。当時主流だった「多地域進化説」では、100万年以上前にアフリカから出て行って、長い時間をかけて、アジアでは黄色人種ができて、ヨーロッパではネアンデルタール人が今のヨーロッパ白人になったと考えられていた。人種ができるのに、100万年から200万年という時間がかかったはずだと考えていたのが、実はあっという間にできあがっていたということがDNAの研究で証明されました。肌の色は紫外線の量と強く関係していたのです。住む環境によって、わずか数千年で肌の色は変わってしまう。今、ヨーロッパにいる黒人が自分たちだけで子孫を残していったとしても、数千年すると脱色していくし、白人がアフリカで子孫を残すと数千年で真っ黒になるということが予想されています。つまり今、人種と呼んでいるカテゴリーが、それほど大きな違いではないということだったのです。

 他人の違いを認めるとか、他人と共存するというのは、昔はおそらく全く考えなかったと思うんです。私の個人的な体験の話をすれば、テレビや映画ではなく、初めて外国人を間近で見たのは高校生になってからでしたからね。最初に見たときはすごい驚いたんですけども(笑)。今は電車に乗ったらいくらでもいるわけですから。そういう社会を生きるっていうのは、僕らが持っていたのとは違う感覚を持たなければいけない時代ですね。そういう感覚を持つために、何を鍵にするかという時に、人の成り立ちを考えてみるということは役に立つのかもしれません。

 ガリレオが「地球は動いている」と言ったときに、それですぐに人の生活が変わったわけではありません。ところが長い目でみればすごく大きな変化だったわけです。科学でわかったことが、深い意味で私たちの考え方を変えていって、それが世の中を変えていくのかもしれない。それは科学が持っている、一つの重要な要素だと思います。



Q: 今後の研究課題は?

 地域研究をするのか、グローバルに見るのかによって話は変わりますが、私は日本人の起源に一番興味がありますから、縄文と弥生の関係についての研究が大きなテーマです。今までは単純な図式で、全国に均一に存在していた縄文人の世界に弥生人が稲作を持って入ってきてどんどん増えていった、そして混血していったと考えていました。しかし、そもそも縄文人自体にかなり地域差があったというのが、今の私たちの考えです。特に北海道、東北に関しては、さらに北の沿海州先住民につながるような遺伝子がたくさん見つかっています。ですから、昔から日本は地域的に分かれた世界を作っていたのではないかと想像しています。時に統一という流れになったり、時に大陸から人が入ってきて混ざり合ったり、ということを繰り返しているのが人の歴史なのだろうと思いますが、それをDNAで読み解いていくのが研究課題です。そのために、一方では現代人の分析を進め、もう一方では古い骨からとったDNAを分析して比べていくという作業を延々と行っています。

Q: 日本人とは何か? という問いにはどのように答えますか?

 だいたい4万年くらい前に日本列島に人が入ってきます。縄文時代が始まるのが今から1万5千年くらい前。縄文が終わるのが今から3千年くらい前。たとえばこれを1年にすると、縄文が始まるのは8月のお盆くらいからで、縄文が終わるのが12月の第一週くらい。鎌倉時代が12月25日で、明治以降は最後の1日、12月31日です。ですから、私たちが「日本」と言っているのは1年のカレンダーの最後の1日を見て、「これが日本だ」と言っている可能性があるんです。

 それ以前は、あえて日本人と言うなら、地域的に分かれて住んでいた人たちの総体を指して呼ぶしかない時代が長かっただろうと思います。それが一体化していくのは明治以降なんですよね。ですから、日本人ってなんだ? と言われるとすごく難しい。

 弥生人が農耕を持って縄文人の世界にやってきて、少し繁殖効率が高かったので、一挙に人口を増やしていったと考えられています。遺伝的に見れば私たちは、おそらく7割くらいが弥生人の遺伝子をひいています。弥生人のルーツはどこかいうと、中国の南から中央にかけての遺伝的なセットが入ってきているというイメージです。でもその中に多様な民族が存在しているので、単純ではありません。どこかではっきり切ることはできないシームレスな世界なのです。

Q: 篠田先生にとって「地球ってどんな星?」

 人類の誕生ということで言えば、私たちを用意してくれたところですから、その母体となる母なる星ですよね。研究者から見た地球は、ものすごくたくさんの謎をくれて、その謎を解くための努力をしなさいって言っているような、先生だったり、研究材料だったり、非常に多面的な存在だと思います。

Q: 最後にメッセージを

 人類学は、過去を復元して人類がどうやってきたかを研究しているわけですが、最終的には、これから先をどうしていくのかを考えるためのベースを用意していると思っています。若い人たちが、もしこの研究をするなら、ぜひそういうことを意識して取り組んでほしい。今は、先のことを考えなければいけない時代になっています。そういう意味では、分子人類学は今日的な仕事なのだろうと思います。ぜひチャレンジしてみてください。

過去を研究することは未来を考えることにつながっているのです。
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