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2026.04.22 | 仲川 美穂子

パリの街に刻まれた記憶 ~日常と共存するホロコーストの痕跡

戦後80年を超えた今でも、パリにはホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)の記憶が身近にあります。例えば、ホロコーストを扱った映画は、メジャー作品と同じシネコンで上映されます。子どもにも伝わるアニメ作品から、ニュルンベルク裁判を描いた人間ドラマ、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『関心領域』まで、テーマも作風もさまざま。ホロコーストは今なお、世代を超えて向き合いつづけるべき出来事という意識が、映画館のラインアップからも伝わってきます。

ナチス・ドイツの占領下にあった1940年代前半、フランスはユダヤ人迫害に加担したという歴史があります。当時の政府は、ユダヤ人と定義づけた人たちを登録し、黄色い星のバッジを左胸につけることを義務づけました。こうした行政による分類と可視化により、ユダヤ人は「異質な他者」として社会のなかで切り離されていきます。フランス警察はその後、子ども1万1000人を含めたユダヤ人を大量検挙し、総勢7万6000人あまりを強制収容所へ送りました。この大規模なユダヤ人排除への「国家の関与」が認められたのは、半世紀以上経った1995年。当時のシラク大統領が国家の責任を公式に認めたのです。
 


黄色い星のバッジを着用する人たち(パリ・ホロコースト記念館の展示より)

「JUIF(ユダヤ人男性)」、「JUIVE(ユダヤ人女性)」のスタンプが押された身分証明書(パリ・ホロコースト記念館の展示より)

これを境に、フランスにおけるホロコーストの歴史認識と教育が変わっていきます。パリの街では、公立小学校や幼稚園の入口に、「1942年から1944年にかけて、この学校から〇〇人の子どもが、アウシュヴィッツへ強制送還され命を奪われた。ユダヤ人として生まれたという理由で。私たちは、彼らのことを決して忘れない」といった言葉が刻まれた石のプレートを見かけることがあります。これらのプレートが設置されていったのは、1990年代後半から2000年代前半。プレートの大きさや形、文面は少しずつ異なり、国が認めたホロコーストの苦しい記憶を、それぞれの学校やコミュニティが葛藤しながら日常空間に刻んでいった跡が見えます。

幼稚園入り口の黒いプレートには、「この幼稚園の幼い子どもたちの記憶のために。ユダヤ人として生まれたという理由で、1942年から1944年に強制送還された。彼らはヴィシー政権が加担したナチスの野蛮行為の無実の犠牲者で、死の収容所で絶滅させられた。2003年11月15日。彼らを決して忘れない」と記されている

1942年夏にアウシュヴィッツへ強制移送された11歳の少女のワンピース。パリ・ホロコースト記念館の展示より

また、パリ郊外のドランシーには、アウシュヴィッツへの主要な輸送起点となった場所も残っています。ここはもともと集合住宅として建設されましたが、フランス国内で検挙された大半のユダヤ人が集められる一時収容施設に転用されました。彼らはここで数日から数カ月過ごした後、近くの駅から窓のない家畜用の貨物列車でアウシュヴィッツへ送られました。そのうち生還したのは、わずか2~3%。ドランシーは死の旅への出発点だったのです。


ドランシーの一時収容所は鉄条鋼で囲まれ、外界と遮断されていた(ドランシー・ホロコースト記念館の展示より)

収容者が描いた収容所内の生活(ドランシー・ホロコースト記念館の展示より)

現在も一部使われているドランシーの旧駅舎。線路はここからアウシュヴィッツへと延びていた

戦後の深刻な住宅不足で、一時収容所だったドランシーの建物は再び住居として使われるようになります。ホロコーストの記憶がまだ十分に語られていなかった時代の住民は、自分たちの住居の「過去」を知らなかったかもしれません。しかし、記憶の整理が進むにつれ、建物の前には記念碑が建立され、フランス国鉄の名が車体に記された貨物列車も設置されました。曖昧だった記憶が、具体的な形で姿を現したのです。

現在のドランシーの集合住宅(ドランシーのホロコースト記念館の上階から撮影)。かつて収容者が点呼を受けていた中庭では、子どもたちが走り回る
集合住宅前の貨物列車。一両に数十人から100人近くが詰め込まれ、アウシュヴィッツへ送られた

 
それでも今なお、この建物は低所得層向けの公営集合住宅として使われています。もともとの住宅としての用途に戻したにすぎないという見方がある一方で、犠牲者を悼む記念施設として保存すべき、あるいは社会的弱者に負の遺産を押し付けているのではないかという意見もあり、ホロコーストの記憶と日常の共存の難しさを突きつけられます。

パリ市庁舎のすぐ近くにあるホロコースト記念館の石の壁には、約7万6000人の犠牲者一人ひとりの名前と生年月日が刻まれています。命は奪われても、その存在は消えないという意思がこの「名前の壁」から伝わってきます。また、外壁には、ナチス占領下のフランスで、自らの命を冒してユダヤ人を救おうとした約3900人の名前も刻まれています。国家が組織的に特定の人種を迫害し、「何が正常か」という価値が揺らいでいた社会に、個人の選択による別の倫理も存在したのです。

新しい史料が見つかると名前が追加される「名前の壁」は、今も現在進行形の記憶(パリ・ホロコースト記念館の展示より)
「子どもの部屋」には、壁一面に子どもたちの写真が並ぶ。一人ひとりに家や学校での生活があった(パリ・ホロコースト記念館の展示より)

 

今も世界のあちこちで、排除や分断は形を変えて繰り返されています。国家と、社会と、異質な他者と――。ホロコーストで失われた命の記憶から浮かびあがったものは、何だったのでしょうか。ドランシーの集合住宅の光景が脳裏で揺れます。80年前の記憶は過去に向けられているようで、現在も矛盾と痛みを抱えながら日常へとつづき、私たちに他者とどう向き合うかを問いかけていているのです。

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仲川 美穂子
仲川 美穂子(なかがわ みほこ) 地球リポーター

数十年前、まだインターネットがなかった時代。「地球の歩き方」を握りしめて東南アジアを旅し、自分が知らなかった地球のローカルな暮らしや食文化、アートに関心を持つように。日本、フィリピン、ベトナム、ガーナ、バングラデシュ、チュニジアなどで国際協力の仕事をしながら、現地のひとたちとの触れあいを大切にしてきた。世界にはさまざまな境界線があれど、その境界線の揺らぎや滲み、交わりに心惹かれる。いろいろな物差しが混在するコミュニティの幸せとは何か。微力ながらも、ひとりでも多くのひとが一緒に考えられるきっかけづくりをしたい。

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