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地球リポート

from バングラデシュ vol. 12 2003.09.30 国境を越えて知ったこと 〜バングラデシュ・スタディツアーに参加しました

2003年8月、国際協力NGO「特定非営利活動法人 シャプラニール=市民による海外協力の会」のバングラデシュ・スタディツアーに参加しました。これは、Think the Earthプロジェクトが協力している、首都ダッカのストリートチルドレン支援事業と、シャプラニールが1972年の設立以来取り組んでいる、農村での生活向上プログラムを視察するためのものです。
私が、バングラデシュという国にいだいていたイメージ。それは、独立から30年以上、多額の援助協力が行われてきたにもかかわらず、経済発展が進まず、何度も洪水の被害を受けている世界でも最も貧しい国のひとつ……という、どちらかというとネガティブなものでした。そんな私が、帰国後、「バングラデシュは豊かな国だったよ!」という言葉を連呼するようになりました。6日間という限られた滞在時間でしたが、実際に私の目と耳で知ったバングラデシュの姿と現地でのシャプラニールの活動を通して考えたことをリポートしたいと思います。

目次へ移動 バングラデシュってどんな国なんだろう?

「ベンガルの国」という意味を持つ国名のとおり、バングラデシュは、人口の99%近くをベンガル人が占め、その他20以上の少数民族で成り立っています。歴史的には、紀元前からさまざまな王朝による統治を経て、18世紀後半には現在のインドやパキスタンなどとともにイギリスの支配下におかれた後、1947年にパキスタン・イスラム共和国としていったん独立。政治の中心だった西パキスタン(現在のパキスタン)主導の国家運営、西パキスタンの公用語であるウルドゥ語を強制されたこと等に対し、東パキスタン州では、ベンガル語公用化運動が始まります。1952年、ダッカ市内の学生デモに警官が発砲し死傷者をだしたことから、実質的な独立運動へと発展し、20年にも及ぶ独立運動の末、1971年、バングラデシュが建国されました。

建国後、政府系/非政府系に関わらず、たくさんの援助が世界中から届いています。残念ながら、政治的不安定と工業の発達の遅れ、毎年のように襲うサイクロン・洪水による大きな被害等のために、30年以上経った今でも、貧しい国というイメージがぬぐえません。近年その割合が減ったとはいえ、国家予算の半分近くは、外国からの援助に頼っていました。また、独立~現在に至るまで、国内の産業に占める第二次産業の割合はほとんど変わらず、新しい雇用が生まれないことも問題となっています。2003年の国連開発計画(UNDP)人間開発報告*では、175ヶ国中139位。一方、人口は約1億3千万人、日本の約4割の国土に日本と同じくらいの人口が住む、最も都市人口の密度が高い国のひとつなのです。

※ バングラデシュ基本情報
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bangladesh/data.html

※ 国連開発計画(UNDP)の人間開発報告
http://hdr.undp.org/reports/global/2003/
国の開発の度合いを測定する尺度として、1人当たりのGDP、平均寿命、就学率を基本要素として、これらを独自の数式に基づき指数化したもの

目次へ移動 "貧困と洪水の国"は"活気のある肥沃な土地を持つ国"でもあった

イメージだけでバングラデシュを"貧困と洪水の国"だと信じた私。しかし、そうした思い込みは、良い意味で裏切られました。首都・ダッカの街は、人とリキシャと車であふれ、市場は、魚や肉、野菜や果物を山積みにしたお店でひしめいていました。もちろん、貧富の差は歴然としていて、スラムが点在し、停車中の車に物乞いが寄ってきます。何より、私たちが今回のスタディツアーで出会ったストリートチルドレンたちが、荷物運びやゴミ拾いなどをしながら必死に生きているという現実があります。でも、こうした厳しい社会状況の中にあっても、人々の表情は明るく、活気に満ちていました。

また、どこまで行っても、ただただ一面に水田が広がる農村の風景は、美しく豊かでした。1年に2~3回収穫ができる田んぼでは、田植えをしている隣で、重そうに穂を垂れる稲があり、その脇で牛(時にはトラクター)が土を耕す光景が見られます。道ばたでは牛が昼寝をし、ヤギが草を食み、お父さんと子どもが特産のジュートを刈り取り、水に浸し、干しています。一度、リキシャで農道を走っていた時に、目の前を通り過ぎた合鴨の大群。実は、田んぼの草取り要員なんですね。食事のたびに出されたマンゴーやバナナ、パイナップルの甘くて濃厚な味には、ツアー参加者一同、感激していました。

バングラデシュは、ガンジス川、メグナ川、ブラマプトラ川という三つの大きな川に囲まれた、世界最大のデルタ地帯に位置し、国土のほとんどが沖積平野です。この地形上の特徴が、毎年のように洪水を引き起こす一方で、土壌を肥沃にしているのです。そして、紀元前の古代王朝時代から、他国との交流のなかで、独自の文化を育んできた土地でもあるのです。 ノーベル文学賞を受賞した詩人、タゴールの作詞によるバングラデシュ国歌の題名は『黄金のベンガル』。 豊かに実った田んぼの稲穂を"黄金"と喩えた歌詞が、実り豊かなバングラデシュの表情をよく捉えています

目次へ移動 これもあれもNGOがやっている

バングラデシュに来て驚いたことのひとつに、NGOの活動の幅広さがあります。

バングラデシュ最大のNGOのオフィスビル

ダッカで最初に行ったお店は、バングラデシュ最大のNGO『BRAC』が運営する、小さなデパート『Aarong』でした。主に『BRAC』が行っている生活向上プロジェクトで作ったものを商品として扱っているので、ここで買い物をすることによって、貧しい人たちに対する雇用が発生し、『BRAC』も活動費を得ることができます。女性が着る衣装やサンダル、手工芸品、シャンプーやリンスなど、扱っている品目も豊富。買い物客は中流以上の身なりの人が多く、それなりの品質のものが手に入るという印象でした。

『BRAC』は他に、不動産、デイリープロダクツの会社、大学なども運営していて、インターネットのプロバイダとしても名前が売れています。専従スタッフは3万5千人。ダッカ市内に大きなオフィスビルと会議にも使えるホテルを所有しています。

携帯電話も種類豊富。大きなNGOは携帯電話やインターネットのプロバイダーサービスも提供する

事業をおこして雇用を作り、事業費を自前で調達することで、海外の援助に頼らない自立した運営をすることは必要だと思う一方、彼ら(BRAC)が支援している貧しい人々の生活環境とのギャップも感じました。それにしても、まるでひとつの企業グループのような規模にびっくりです。 『BRAC』を筆頭に、バングラデシュには、スケールメリットを追求できる大規模なものから、細かい個別対応が特徴の小規模なものまで、大小さまざまなNGOがあります。

ダッカに2つある5ツ星ホテルのひとつ。日本のODAで建設された

シャプラニールが、ストリートチルドレン支援でパートナーを組んでいる『オポロジェヨ・バングラデシュ』は、1996年にスイスのNGOから独立する形で設立された現地NGO(現在はバングラデシュ人だけで運営)。シャプラニールを含め、海外の10団体から資金供与を受けて、ダッカ市内で6つのドロップインセンター、22のストリートスクールを運営しています。

また、日本の東大にあたるダッカ大学を出ても、すぐに就職できる人は3分の1程度といわれる状況のため、NGOを単に良い就職先だと考える人も少なくありません。つまり、バングラデシュでNGOに就職することは、日本で一流企業に就職するようなものなのです。

シャプラニール ダッカ事務所長・白幡さん

シャプラニール・ダッカ事務所長の白幡利雄さんによると、バングラデシュで活動する国際NGOの多くがキリスト教に関係する団体 とのこと。その中でシャプラニールは、規模は小さいけれど、特定の宗教に依存しない日本のNGOとして独自の活動を展開しています。最近は、長年にわたって培った信頼をベースに、バングラデシュのNGOと日本のODA関係者を集めたミーティングを開催するなど、ネットワークづくりにもイニシアティブを発揮しています。

そして、現場を歩くことをとても大切にしていて、ダッカ事務所のスタッフが週に一度は現場に赴き、事務所長の白幡さんも2ヶ月に一回は全現場を訪問します。また、各地域センターのスタッフ間も、四半期に2回は、必ず顔を合わせる機会を作っています。

目次へ移動 不幸の連鎖をくりかえしたくない

今回のツアーの目的は、NGO『シャプラニール』の活動地を見せていただくことでした。シャプラニールは、バングラデシュ独立直後の1972年から、30年以上、農村部の生活改善のために活動してきた、日本オリジナルの草の根NGO。現在は、貧困層を対象にした相互扶助グループ「ショミティ」の育成を核に、成人識字学級や児童教育、保健衛生環境の改善や収入向上の活動に取り組んでいます。6つの地域活動センター(Community Development Center)を拠点に活動しており、参加世帯数は12,000に達します。現地スタッフは、ダッカ事務所にいる日本人2名以外はすべてベンガル人で、パートナー団体など関係スタッフを加えれば120人以上になります。

また、2000年からは、ダッカのストリートチルドレン支援を開始。これは、オポロジェヨ・バングラデシュというバングラデシュのパートナー団体を通して行われています。

※ シャプラニールのバングラデシュでの活動

目次へ移動 最も助けを必要とする人たちに

私たちが訪ねたのは、ダッカの北約110kmにあるマイメンシン県イショルゴンジ郡の地域活動センターです。

農村の市場や商店で働く子どもたち

ミシンを上手に使いこなす12才の少年

ここで私たちは、シャプラニールが行っているショミティ活動、識字教室のほか、新しくはじめたプログラムを見学しました。それは、女の子を対象に思春期の悩みや将来のことを話すグループ、学校では得られない知識を習ったり同世代の子と遊ぶ少年少女クラブ、そして、バザールで働く子どものためのプログラムなどです。数カ月前に始まったばかりですが、子どもたちの可能性を広げるきっかけになれば良いなと思います。

また、シャプラニールはこれまでも、土地をもたない農民や日雇い労働者など、貧困層を対象に活動をしてきましたが、現在は、特に厳しい状況の人*に対するプログラムをはじめています。

学校では教えない、保健衛生や将来のことを話し合ったりする同世代の少年、少女のグループを組織しはじめている。

*特に厳しい状況の人
未亡人や離婚された女性、障害者、高齢者など、極貧状態におかれた人々のこと。村は都市に比べ、仕事の機会が少ないので、こうした人々は物乞いをしたり、誰かの手伝いをして食べさせてもらっている。その場合、ショミティ活動にさえも加われない。

夜の識字教室は、ランプの灯りで

シャプラニールオリジナルのテキストを使って字を学ぶ。内容も、実用的なものが多い

目次へ移動 愛される自信を取り戻すことが子どもの明日を変える

現在ダッカにはストリートチルドレンが30万人以上生活していると言われています。子どもたちの多くは、貧しさ、あるいは両親の離婚や暴力など家庭内の問題が原因で故郷の村を離れ、心に傷をかかえたままダッカの路上で生活をはじめます。生活のために、車の整備工場、水売り、荷運び、さらには売春などをしていますが、子どもであるために、低い賃金で長時間働かされたり、稼いだお金を盗まれたり、不衛生な環境で病気になったりするなど、その生活は絶えず危険にさらされています。ほとんどの子は学校にも通っていません。私たちは、シャプラニールがパートナーNGOのオポロジェヨ・バングラデシュを通じて行っている、ストリートチルドレンのための『ストリートスクール』と『ドロップインセンター』を訪ねました。

ストリートスクール』は、バスターミナルの建物の一部を借りて、行われています。担当スタッフ4名、内訳はプロジェクトマネージャー1名と先生3名で、毎日、授業は、午前と午後に一回ずつ。私たちが訪問したときは、幅3~4m、奥行15mくらいのスペースに、3才から15才くらいまでの子が50人くらい集まっていました。私たちの訪問に興奮気味の子どもたちを、ガキ大将の男の子が整列させています。この日は、もうすぐ、ターミナルビルを借りて学芸会をするということで、歌やお芝居の練習をしていました。私たちのように、外部の人に見られることで、周りの大人からも認めてもらえる存在になれるし、子どもたちにとっても自慢のネタのようです。

ストリートスクールはバスターミナルのスペースを借りている

私たちの訪問に興奮した彼らがようやく落ち着いて、スクールが始まった。 読み書きの他に、ベンガル語の歌や詩、踊りを習ったりする

ドロップインセンター』は、バナナの卸売所と木材加工場の間にある、薄暗い道の突き当たりのビルの中にありました。自炊や水浴びができる場所や夜の寝床の提供、小3程度までの教育のほか、ゲームやテレビも楽しめます。子どもが安心してお金を預けられる子ども銀行も開設。歴史的施設を見ながら、国の歴史を覚えたり、先生やプログラムオフィサーの仕事を模擬体験して、他の人の視点に立つことや責任についても学んでいます。売春をしている子もいるので、性感染症、HIV/AIDSを防ぐためにセーフセックスを教えることもあります。今後は、職業訓練も始め、地域の人を巻き込んだコミュニティづくりが課題。「でも、一番大切なのは、子ども達が愛される自信を取り戻すこと」と、ドロップインセンター所長のレザウルさんは話してくれました。

キッチンでは自炊ができる

私たちを迎えてくれた子どもたち


一方、シャプラニール・ダッカ事務所の藤崎文子さんは、この仕事をどんな思いでやっておられるか、話してくれました。

375シャプラニール ダッカ事務所・藤崎さん

「ある時、ドロップインセンターで14才くらいの女の子と出会ったんです。彼女は売春をやっていました。何度か会って仲良くなったのですが、ある日、突然姿を消しました。聞くところによると、親のいいつけで結婚したのだけれど、結婚後も姑に売春をやらされ、妊娠したら捨てられてしまったそうです。周りの子に悪影響がある、もしくは地域の人たちから誤解を受けるという恐れがあって、今のところオポロジェヨではケアすることはできないのです。それを聞いた時、ほんとにやりきれなくて......。今、ここにいる子どもたちの状況が、すぐに劇的に変わるものではないとわかっています。でも、その子ども、孫の代へと続く、不幸の連鎖を断ち切りたい。終わらせたいんです。」

発展・向上とは、自分の人生に決断ができること、選択肢があるかということだと、誰かが教えてくれました。ストリートスクールやドロップインセンターでの活動を通じて、子どもたちが生活に必要なことを学び、愛される自信を取り戻すこと、そして周りの大人たちが変わっていくことが、子どもたちの明日を変えることにつながると信じたいです。

※ ストリートチルドレン支援事業についてhttp://www.shaplaneer.org/support/st_children.php

ダッカ・国会議事堂と公務員宿舎

そして議事堂周辺で商売をしているというストリートチルドレン。オポロジョヨのストリートスクールを利用していると言っていた。

目次へ移動 スタディツアーが教えてくれたこと

並んでもらったわけではないんです。日本人グループを見物するギャラリーです。

ツアー中、農村の識字教室で字を学ぶ男性から投げかけられた質問に、ツアー参加者が思わず考え込んでしまった場面がありました。
彼は言ったのです。「あなた達がこうして訪ねてくれるのはうれしい。でも、なぜ、遠くはるばる日本からこんなところまで来てくれるのか?」

スタディーツアーにこぞって参加することについて、私自身、ひっかかりがありました。10年ほど前に行った植林ツアーで、「援助してあげる」精神の日本人参加者と「援助してほしい」と待ち構えている現地の人、という構図に、何かしこりを感じました、でも、今回参加してみて、参加者の意識が「してあげる」から「知りたい」「学びたい」へと大きく変わっていることに気づきました。もちろん、依然として大きな経済的格差がある限り、「支援・協力」という言葉は使うことになるでしょう。同時に、援助では自立できないということは、この何十年かの国際援助活動が証明しているように思います。

ダッカ・スラムの脇の空き地でサッカーをする子ども

けれども今は、情報のみならず、口にするものから身につけるもの、娯楽にいたるまで、すべてがグローバル化の時代。今までは隣同士、知り合い同士で行われていた助け合いも、これからはどんどん国境を越えていくべきだと思います。そして、国家という枠にはまらず、"必要なところへ必要なものを"提供する国際NGOが、力を発揮するときなのではないのでしょうか。
参加することにひっかかりがあった私も、活動を実際に見ることで、報告書で知ることができる情報の何十倍ものストーリーが背景にあることを再認識しました。

バリエーションはあるけれども、みんなカレー味です

ベビータクシーと呼ばれる三輪タクシー。
ディーゼルエンジンが大気汚染の原因となっていたので 、ダッカでは、昨年、すべてCNG(天然ガス)車に衣替え。 空気もきれいになった。

カラフルなリキシャのデザイン

参考URL

※ 参考文献

取材・写真 Think the Earthプロジェクト 原田 麻里子

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