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「三角ベース」アフリカに行く|地球リポート|Think the Earth

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地球リポート

from ガーナ vol. 27 2006.03.31 「三角ベース」アフリカに行く

2012年のロンドンオリンピック競技種目から、野球が除外されることが昨年の夏に決まりました。野球は、アフリカやヨーロッパではまだマイナースポーツなのです。そのアフリカを舞台として「キャッチボールで世界を平和に!」をスローガンに、野球の普及に取り組んでいる人たちがいます。昨年からは、ボール以外の道具が必要ない、野球を単純化した“遊び”、三角ベースを広めようと「三角ベース普及プロジェクト」を進めています。 …なぜ三角ベースなのか、なぜ今アフリカに野球を届けるのか…?そんな疑問を胸に、2006年2月、ガーナでの活動に参加しました。

目次へ移動 チョコレートの国に、オリンピックを目指した日本人がいた

西アフリカ、ガーナ共和国。ガーナと言えば、私たちはすぐに赤いパッケージのチョコレートを思い出します。また、歴史的には奴隷貿易の拠点となった「黄金海岸」があることでも知られています。
1980年代までは軍事クーデターなどを経験したものの、現在はアフリカの中でも比較的、政情が安定しており、首都・アクラには、携帯電話の看板があちこちに建ち並ぶなど、経済的にも力を伸ばしつつあることが肌で感じられます。

突然ですが、この国に、オリンピックをめざした日本人がいたことをご存じでしょうか。JICA(独立行政法人 国際協力機構)の職員で、96年から99年のガーナ駐在時代に、野球のガーナ代表チーム監督を務めていた友成晋也さんです。
99年、ガーナチームは初めてのオリンピック予選に出場します。が、アフリカチャンピオンまであと少しのところで、野球ではアフリカ最強のナイジェリアに敗れてしまいます。

オリンピック予選終了直後の帰国が決まっていた友成さんは、アフリカ野球連盟の会長から「日本へ戻ったら、アフリカ野球友の会と名付けた団体を設立していただきたい」と、想いを託され、帰国後、実際に"特定非営利活動法人アフリカ野球友の会"(以下、アフ友)を設立しました。
現在、日本在住のアフリカ人による野球チーム「アフリカオールスターズ」との草野球や、ガーナの野球を支援するための募金活動、講演会などを行っています。また、アフリカの野球選手や子どもたちを日本に招いたり、アフリカを中心とした世界各地での野球の普及活動を行ったりと、野球を通じた国際交流の場を数多く作っています。

アフリカ野球友の会代表・友成晋也さん(右)。"アフ友"現地パートナー"Baseball Ghana Foundation(BGF)"のパーカーさん(中)とアルバートさん(左)。アルバートさんは、かつて友成さんと一緒にオリンピックを目指したひとりです。

目次へ移動 三角ベース、アフリカ上陸

目次へ移動 いざガーナへ

バットがないとボールが打てない、グローブがなければ硬い球をキャッチできない、など、野球のためにはいろいろな道具が必要です。アフリカに野球が根付かない理由のひとつとして、これらの道具が手に入りにくいことが挙げられます。

アフ友設立当初は、こうした道具を贈る活動などが中心だったのですが、それでは野球に興味のある人にしか届かないので、もっと広く野球を伝えるために、2005年から三角ベース普及プロジェクトを立ち上げました。
今回、このプロジェクトの説明教材を手に、ガーナへ向かいました。

三角ベース指導用プリント"さんかくベースってなんでしょう?"アフ友メンバーの手作りです
クリックすると拡大します

ガーナの首都・アクラの町並み。

日本の中古車もたくさん走っています

目次へ移動 プレイボール!

ガーナでは、6人の日本人と8人のガーナ人野球コーチが、孤児院やアクラ市内にある3つの小学校へ足を運びました。ゴムボールを作っている日本の企業からの寄贈ボール(全部で200個!)と、空気入れポンプを携えて学校を回りました。

寄付されたボールは空気を抜いてつぶして、日本から運びました。この真っ白いゴムボールが、アフリカの土にまみれて真っ赤になりました(写真提供 アフリカ野球友の会)

ここでは、そのうちのひとつ、ラングーン・スクール(Rangoon School)での様子をリポートします。

ラングーンスクールに到着

まずは教室でのスタッフ紹介とルール説明。「野球を知っていますか?」という質問を投げかけると、子どもたちは元気に「イエス!」と答えます。えっ、野球を知らない子どももいるはずだけど...

「今から外で練習します!」と先生が言うと、教室を出て校庭に集合。

さっきまで着ていた黄色と茶色の制服から、色とりどりの体操着に

いよいよ練習開始。スムーズに試合が進んでいるフィールドがあると思えば、別のグループでは、なかなかゲームが進まない場面もありました。ヒットが出ても走り出すタイミングがわからなかったり、勢いよくフライに飛びついてしまって、ゴムボールが手に当たって跳ねて、遠くに飛んでいってしまう間に得点されてしまったり。「打つ・捕る・投げる」という野球ならではの動作に苦心する様子もありました

練習試合に熱中するうちに脱いでしまったサイズの合わない靴が、ベースの脇にちょこんと並んでいます

紙に砂を載せて、ホームベースをつくりました

ミニスカートで三角ベース...?と思いきや、これが意外とかっこいいのです!

「それで、このバッターは犠牲になるけど、ランナーが得点するんだよ」

「体の向きはこっち、で、ボールがここにきたら当てる!」

教室で話したことが身に付いていないなら...「もう一回ルール説明するぞ!」と子どもとコーチを再招集

練習の後、ビニール袋に入った水が配られます。ガーナではおなじみの飲料水。学校のグラウンドにある売店ではもちろん、自転車にクーラーボックスを積んだり、トレーを頭に載せたりして売りに来ます

水を飲みながら「日本のことをもっと教えて!」「雪が降るの、知ってるよ!」

数日間の練習の最後には、三つの小学校対抗で、ヒットボール*大会を実施しました。大盛況の様子は以下をのぞいてみてください。

アフリカ野球友の会ブログ「週刊アフ友!」
http://afab.seesaa.net/
ガーナ史上初の三角ベース大会開催!
http://afab.seesaa.net/article/13791940.html
*アフ友では、三角ベースを英語で「ヒットボール」と呼んでいます。
http://www.catchball.net/hitballabout2.htm

目次へ移動 野球を通じて文化を伝える

今回のガーナ訪問は、国際交流基金の人物交流・文化協力事業から支援を受けています。子ども時代に三角ベースを楽しんだ日本人が、みずからアフリカへ渡って三角ベースを伝え、交流するということが、日本文化を通じての国際協力につながっているのです。

アフ友メンバーは、住んでいる場所も本業も、みんなばらばら。それぞれが日本や野球への思いを込めて、三角ベースを伝えます。ルール説明の時に「日本はとても狭い国なので、広い野球場がなくてもできる三角ベースをして遊んでいました」と、日本の様子が想像できる表現をさりげなく折り込んだり。「礼に始まり、礼に終わる」野球の礼儀正しさが好きだという大学生のメンバーは、試合前にきちっと整列させることも忘れません。

礼の前にちょっとだけ...強そうに見える?(チームはこの後、大逆転で敗退してしまいます。残念!)

目次へ移動 野球を「仕事」にしよう

目次へ移動 ボランティアの限界

野球が育んできた文化や精神がこれからも引き継がれて行くためには、たとえ日本人の指導者がいなくても、継続的に野球と親しめる場所と機会を保ち続けることが必要です。ガーナ人のコーチたちも、野球の楽しさを伝えるために一週間私たちに同行し、三角ベースのノウハウを吸収しました。でも、それはあくまでボランティア。実は、三角ベース大会は楽しいだけで終わっていなかったのです。

大会が終わった後、日本人メンバーと話し合うガーナ人コーチたちの姿がありました。仕事を休んで三角ベース指導に行った時の経費、翌日に隣町で予定されていた日本人とガーナ人選手の親善野球大会へ行くための交通費...自分たちも野球が好きで、子どもたちの指導に熱意を燃やし、生きがいを感じているコーチたちの一番の悩みは、野球では生活が支えられないということでした。アルバートさんが野球好きの仲間を集めてボランティアで野球を教えることにも、限界が来ているのかもしれません。

ガーナでは、スポーツ関連予算の90%以上がサッカーのためのもの。日常的に子どもたちが触れる機会のあるスポーツはサッカーだけです。大人がテレビで観戦するのもサッカー。つまり、サッカーならばコーチなどの仕事の可能性が残されている一方、他のスポーツに関わる仕事を生活の糧にできるような社会の基盤がないのです。さらに、教育の完全無償化が国際的に求められている流れがあり、政府はスポーツにかける予算を増やすことができないのです。つい数年前まで行われていたホッケーやバレーボールなども、道具や競技場のための予算を獲得できず、ほんの一部が、外国からの支援などで細々と続けられているだけになっています。

サッカーのクラブチームの練習風景。豪華な専用バスで乗り付けて練習ができる恵まれた環境

教育スポーツ省を訪問し、野球の支援と、スタッフの充実を訴えました

野球連盟で、三角ベースの指導ビデオを見せます。興味津々の野球関係者たち

目次へ移動 ゴムボールひとつが自立へのきっかけ

日本からは、2004年までJICAが野球指導者を派遣していました。が、予算が限られているガーナ野球の体制の中、現場に派遣されたコーチが長期的な視野で活動し効果をもたらすのは、なかなか難しかったのではないでしょうか。さらに近年は、アフリカで猛威を振るっているHIV/AIDSの対策と、その防止のための青少年の教育に特に力を入れており、JICAの行うスポーツ協力の優先順位はさらに下がってきているようです。

このままでは、スポーツはますますサッカー一辺倒になり、ガーナ野球の文化は途絶えてしまう。そのためにも、子どもたちに三角ベースに親しんでもらおうというのが、ガーナ訪問の狙いでした。公園で子どもたちが集まって三角ベースをしたいと思ってくれたら、そして、サッカーと同じ、もしくはそれ以下のコストしかかからないゴムボール一個でできるなら、予算の限られた学校教育の場でも三角ベースが取り入れられるはず!野球や三角ベースに親しむ子どもが増え、学校教育へも取り入れられるようになれば、コーチたちが野球の指導をして生活できるようになる。 日本からの支援に頼って趣味で野球を続けるのではなく、野球で生計を立てる道を作ることで初めて、子どもたちに野球を教え続けることができます。

街角で売られている、サッカーのユニフォーム

ブラックスターズ(サッカーのガーナナショナルチーム)を応援しよう!という看板。サッカー関連の広報は充実している印象を受けます

さらに野球が浸透して人気スポーツになれば、選手だけでなく、野球場の売店、掃除の人が必要になり、バット工場や、革細工の技術を活かしたグローブ工場も作れます。ナイジェリアからゴムを輸入すればボール工場も。西アフリカの地の利を活かせば、アメリカにもヨーロッパにも輸出できるかもしれない。
つまり、野球がアフリカ大陸に根付き、選手も観客も野球産業もアフリカで賄って「自立」すれば、人々の生活を支える選択肢がひとつ増えることになるのです。そしてオリンピックの競技に野球が復活し、アフリカから世界一を目指す夢を描くことができるかもしれません。そして日本代表と試合をする日が来るかもしれない...!友成さんとアフ友の夢はさらに広がります。

ガーナ製、手縫いのグローブです

目次へ移動 ガーナからの宿題〜夢の選択肢がある世界を

ガーナでは、野球の普及活動を現地で支援している方々にお会いしました。そのひとり、パーカーさんは「エイズ対策は確かに必要です。でも、コミュニティがなくなりつつある現代のガーナで、青年が熱中できる生きがいがないことこそ、問題なのではないでしょうか」と言っていました。また、別の方が「サッカー以外のスポーツを"オルタナティブ(選択肢)"として子どもたちに見せたい」と言っていたのも印象的です。

子どもたちの能力が発揮される場を増やすことで、積極的に生きる力を引き出し、ひいては、エイズなどの社会問題をポジティブに解決するきっかけになるのではないか?ガーナ社会からアフ友に投げかけられた課題と期待は、野球にとどまらない、もっと大きな社会のあり方へと広がっていたのでした。

エイズの予防を呼びかける看板。アクラでは携帯電話の広告と同じくらい、よく見かけます

ガーナで「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、男の子のほとんどは「サッカー選手になるんだ」と話してくれました。ひとりひとりに個性があり、得意なことがあるはずなのに、みんなの憧れが、サッカーの選手。政府予算や海外支援など大人の社会の都合で、子どもたちの夢には選択肢が無くなってしまうのかもしれません。大人たち自身が、いろいろな仕事に就く選択肢を持てない結果、子どもたちの夢もまた、そのしわ寄せを受けざるを得なくなります。

それは、日本でも同じこと。子どもの生活が塾通いとテレビゲームばかりになり、街から三角ベースや野球を通じてコミュニケーションが広がる風景が消えつつあるのは、他でもない大人たち自身が生き生きと時間を過ごすゆとりと楽しみを忘れてしまったからではないでしょうか。

「こんな仕事も、あんな仕事もできる」「これも、あれもかっこいい」そう思える社会は、子どもたちがさまざまな夢を描けるということであり、日本とアフリカのみならず、世界共通の願いです。アフ友の活動はスポーツの枠を越えて、世界をより豊かなものに変えてゆけるように思えてなりません。

また僕たちがガーナに来るときまで、このボールを大切にして、仲良く遊ぶんだよ!

日・ガーナ親善野球大会を見に来た近所の子どもたち。視線の向こうに見えているのは、ホームランを打つ未来の自分...?

『アフリカと白球』
友成さんと一緒にオリンピックをめざすガーナチームの奮闘記。
3年間のガーナ駐在(と監督としての生活)を終えて帰国する「帰り道」で一気に書きあげたそうです



写真素材提供 C.C.C 富良野自然塾
取材・写真 Think the Earthプロジェクト 香川 文

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