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圧縮杉で環境と経済を両立〜飛騨産業の挑戦|地球リポート|Think the Earth

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from 岐阜 vol. 31 2006.12.15 圧縮杉で環境と経済を両立〜飛騨産業の挑戦

日本の森林の13%を占める杉の木。その多くは戦後植林されたものです。大きく育ったものの活用の場が見出せず、杉林は放置されているのが実情。春に大量に吹き出される花粉によって多くの人が苦しむ今、厄介者の感さえ否めません。しかし、この杉は有効な資源であると、改めて私たちに気付かせてくれた家具メーカーがあります。杉の山に囲まれた飛騨高山の『飛騨産業』。杉の家具についてもっと知りたく、初冬の高山を訪ねました。

目次へ移動 飛騨高山と飛騨家具

岐阜県北部に位置する飛騨地域。御嶽山、乗鞍岳、奥穂高など標高三千メートルを超える山々が連なる地域です。この飛騨地域の面積3,330平方キロメートルのうち、森林部分は3,097平方キロメートル。林野率は93%にもなります(2000年現在)。また、その森林全体のうち「杉」の蓄積量は、人工林、天然林を合わせ、8,529,000立方メートルにも及び、それは飛騨地域の森林の20%にもなるということ。この数字からも、この地域が豊かな森に囲まれた土地であること、その森の中にいかに多くの杉が生育しているかが、分かります。

参考 高山の地図はこちら

名古屋から高山本線に乗り、高山までの2時間半。車窓からも見事な杉山が見えました。日本全国、至るところにこのような杉山があるのでしょう。杉の学名は「クリプトメリア・ジャポニカ」といい、"隠された日本の財産"を意味するそうです。今こそ、その価値を見直すべき時かもしれません。
写真提供:飛騨産業

また飛騨地域は、平城・平安の造都に活躍し日本建築の黄金時代を築いた「飛騨の匠」の伝統を誇る地域です。その木工職人の技を伝承しつつ、木材加工の新技術を率先して取り入れ、誕生したのが「飛騨の家具」です。
原生林のブナを資材として活用できる木工家具に、最初に着目したのが「飛騨産業」の前身、「中央木工株式会社」でした。創設は大正9年。オーストリアのミヒャエル・トーネットが開発した曲木(まげき)の技術に学び、積極的に曲木家具に取り組みます。昭和10年には日本初の家具対米輸出を開始。輸出家具メーカーとして着実に実績を伸ばしていきました。
中央木工に続いて多くの家具メーカーがこの地に起こり、「飛騨の家具」の名は全国に知られることとなります。現在では、福岡の大川家具、静岡の静岡家具、徳島の徳島家具などと並び、飛騨地方は日本有数の家具の産地として知られます。

参考 飛騨の家具・飛騨デザインの総合サイト

「飛騨の小京都」と呼ばれる、飛騨高山。江戸時代以来の城下町・商家町の町並みが保全されており、その古い町並みは多くの観光客でにぎわいます。

目次へ移動 日本の森と杉の現状

元来、日本の山はブナ、くぬぎ、ナラなどが混生する雑木林でした。第二次世界大戦後、戦禍によって荒廃した森林に、農林省は成長が早くて容易に生育する杉を大量に植林します。1957年には国有林生産力増強計画を策定して、建築用材として天然林(広葉樹林)を伐採し、「杉」を中心とした樹種転換を図ります。飛騨の森も例外ではありませんでした。次第に杉が森を占める割合が増えていったのです。

杉は日本人の生活と深いかかわりを持っていた日本固有の材です。かつては、住宅、船、桶、大八車など、あらゆる場面で活用されていました。 ところが、高度経済成長に伴い円高が進むと、外国材が大量に輸入され始めます。日本人の生活様式が欧米化していくにつれ、日本家屋は洋風建築に取って代わり、杉が建材として使われることも減少していきました。国産材は価格が低迷し、林業財政は悪化。乱脈な伐採事業を促した結果、森林の育成が後回しとなり山は荒廃していくという、悪循環をたどることになってしまったのです。

このまま森林が放置されると、木が密生し日差しが入らずに森自体がどんどん衰弱してしまいます。今現実に引き起こされている、土石流の発生や河川の荒廃、花粉症の増加、生態系の変化といった環境問題は、森が弱っていることの証拠なのです。

ここにおかしな数字があります。日本の国土の67%は森林。13%は杉林です。これだけ豊かな森林があるに関わらず、木材の自給率はわずか18%にとどまっている。日本は年間におよそ1兆1,478億円(9,901百万ドル/2003年実績・財務省「貿易統計」より)もの木材を輸入しているのです。カナダやフィンランドの木材自給率が突出して高いのは容易に想像できますが(カナダ303%、フィンランド126%)、森林の少ないイギリスでさえ、日本を上回る25%の自給率を誇っているのです。資源の活用を計れず他国に頼る日本の姿が浮き彫りになる数字です。

もっと国産の木材を利用すること。それは森を育てることであり、環境を守ることにつながるのです。「有り余る杉を活用しない手はない」と立ち上がったのが、飛騨産業の岡田贊三社長でした。

目次へ移動 飛騨産業の取り組み1 杉の圧縮

飛騨産業、岡田社長。ホームセンターを経営していたころ、フロンガスを使う商品をすべて撤退させたこともあるというほど、以前から環境問題には関心を寄せてきた方です。

岡田社長は、中部地区で展開するホームセンター経営者から転身して、2000年に飛騨産業の経営に携わるようになりました。そのときのことをこう振り返ります。

「これだけ森に囲まれた土地だから、当然地元の材を使って家具を作っているものだと思っていました。ところが、90%以上を輸入材に頼っていたのです。おまけに節のある部分は不良品として扱われている。たとえ、節のある原板を避けても、加工していく段階で再び節が出てくることがある。その材は燃料にしかならないというのでは、資源の無駄使いであることはもちろん、経営的にも望ましいことではありません。節のある家具というのはどうしてもだめなのか、と社内で問いかけてみたのが始まりでした」

当時「木製家具に節があってならない」というのは家具業界の常識だったようです。節があれば、返品される。現場の社員たちが何度も経験していたことでした。

「しかし、節というのは自然が作った造形美です。均一じゃないんだから、オンリーワンだという売り方もできるんじゃないか、と説得したのです」

そして開発されたのが、ホワイト・オークで作られた『森のことば』シリーズでした。大方の予想に反して、このシリーズは発表と同時に、大きな反響を呼びます。

「日本人の自然志向やエコロジーといった意識が高まっていることを確信しました。だったら、杉の良さも理解してもらえるのではないかと。以前から杉の問題には関心を寄せていましたから、ぜひ杉で家具を作ってみたいという思いが強くなったのです」

『森のことば』シリーズ

『森のことば』シリーズ「節」を主役にした『森のことば』シリーズ。その名の通り、森の木々が語りかけてくるような家具です。2001年の発売以来、飛騨産業の主力製品となったそうです。今この家具を目にすると、どうしてそれまで節が敬遠されてきたのか不思議に思えます。(写真提供:飛騨産業)

杉をはじめとする針葉樹は柔らかく、一般的には家具には適さないとされてきました。とりわけ、杉は節の目立つことが特徴です。『森のことば』の成功から、節は問題ではないということが明らかになり、残る問題はその柔らかさをどう克服するかということ。

ちょうどそのころ岡田社長は、偶然「木の圧縮」という技術に出会います。
「ただし、その時点の技術では、まだ家具には使えそうもなかった。しかし、研究を重ねるうちに、実はこれは当社の曲木の技術の延長線上にあるものだと気付いたのです」

曲木の技術とは、木材を高含水・高温状態(蒸煮)で軟化させて木材組織を柔らかくし、曲げるというもの。つまり、これは内側部分を圧縮して固定していることに他ならないのです。この技術を基に、杉の表面をプレス等によって圧縮し、細胞組成の空隙を押し縮めると、密度の高い材質に変化します。そのため、材の強度・加工性能を向上させることができるのです。しかも杉材はある一定の温度で加熱圧縮すると、その形状を変形しないように固定記憶することも明らかになりました。これは、曲木に次ぐ量産化するための革新的な技術といえるものでした。

曲げられて出番を待つ家具の部材たち。椅子の背、座面、脚など様々な部分に曲木の技術が使われます。

上写真は圧縮する前の杉の細胞組成。下写真がその空隙を押し縮めたところ。圧縮は必ず板目を上下からプレスして行われます。柾目からプレスしてしまうと、繊維が破壊されてしまうそうです。(写真提供:飛騨産業)

しかし、設備投資の資金を一社だけで調達することは非常に難しい。そこで、飛騨産業を筆頭に、笠原木材、飛騨測器、奥飛騨開発、飛騨高山森林組合の5社が集まり飛騨杉研究開発協同組合を設立しました。顧問には岐阜大学応用生物科学部の棚橋光彦教授が就任し、現在も研究が続けられています。私たちが、飛騨産業を訪ねたちょうどその日、新しい試験機が入ったところでした。この機械を導入することで、圧縮の早さが大幅に縮小され、生産量が飛躍する可能性があるそうです。

「圧縮技術は、杉の可能性を広げました。家具だけではなくて、おもしろい用途が色々と考えられる気がします」と、岡田社長は話します。

産学協同で研究されているこの技術は、飛騨産業のものだけではありません。くれ葺き屋根に使いたいという依頼に応えたり、小学校に使うための杉を圧縮したり。技術提供はすでに始まっています。

飛騨杉研究開発協同組合の看板です。

協同組合内にある圧縮機。

杉材の圧縮サンプル。左からそれぞれ原板、30%圧縮、50%圧縮、 70%圧縮されたものです。杉を家具に使うには25〜30%の圧縮が良いそうです。10%では強度が出ず、50%圧縮してしまうとブナと同程度の表面強度が得られるものの、杉の良さが損なわれてしまうのだとか。圧縮していくと、トーストしたように、こんがりと色づいていくそうです。

目次へ移動 飛騨産業の取り組み2 エンツォ・マーリとのコラボレート

実は、飛騨杉研究開発協同組合が開発した圧縮技術は、ただ杉の強度を強化しただけではありません。プレス機の押し型により、平面・曲面圧縮以外にも、不均等圧縮、積層圧縮など、多様な形の圧縮加工が行えるのです。このため、それまでに行われていた切削工程を省いた家具生産ができるようになったのです。この技術はコストダウンを実現したばかりではなく、デザインの可能性をぐんと広げました。

上下からプレス機で圧縮。この機械を使って曲げながら圧縮するのは、飛騨杉研究開発協同組合独自の技術だそうです。このようにプレス圧縮において使用する成形金型を活かすことで、平面に限らず目的の形状に圧縮成形することが可能となったのです。

杉を家具に使うための研究を着々と進めているころ、岐阜県の産業活性化プロジェクト「オリベ想創塾」が、世界的に活躍するイタリア人デザイナー、エンツォ・マーリを招いて講演会を催しました。これまで1600点を超える作品を生みだし、29点もの作品がニューヨーク近代美術館にパーマネントコレクションとして収蔵されている人物です。この講演会を聴いた岡田社長は、大いに心を揺さぶられたと話します。

「これだけ実績のあるマーリが、今もって『正しいデザイン』を追求していると言う。デザインとは何か、まだ分からないんだ、と。その真摯な姿勢に感動しました」
講演会ののち「マーリとコラボレートしたい会社は?」と問われ、迷わず手を上げた岡田社長。そのときは「椅子の1脚でもデザインしてもらえれば」という軽い気持ちだったと話します。

エンツォ・マーリと彼の話を聞く飛騨産業のデザイナーたち。マーリが来日するたびに、その一語一句を聞き漏らさないように、社員たちは真剣にマーリの話に耳を傾けて多くのことを学び取っているそうです。(写真提供:飛騨産業)

エンツォ・マーリの言葉を雑誌などで目にしたことがある人はご存知かもしれません。マーリは、デザイナーであると同時に、思想家であり、哲学者でもあります。フランス革命を賞賛し、不平等を憎む。社会とデザインの関係を常に訴え、デザインを通して私たちにメッセージを送り続けている人物です。彼とのコラボレートは、まず彼の思想を理解することから始まったといっても良いのかもしれません。

「マーリが初めて私たちのショウルームを見にきたとき、なぜこんなに欧米スタイルの家具ばかり作っているのか、と怒られました。『日本刀は最高の美だし、桂離宮は人類が作り出した最高の構築物。もっとあなたたちの美を大切にするべきだ』と。そんなふうに彼が日本の美を認めてくれていることが嬉しかったですね。だからこそ、マーリに日本の固有資源である杉を使ってデザインして欲しい、と心から願うようになったのです」

しかし、プロジェクトは一筋縄では進みませんでした。木材資源に乏しいイタリアのマーリにとって、「木を使うこと自体が環境破壊」だという先入観があったからです。

「確かに木材が枯渇している現代、これ以上木を切ってはいけない土地もある。例えばロシアのツンドラ地域で針葉樹を切り倒したら、そこには2度と木は生えてこない。南洋材も同じで、一度切ってしまうと砂漠化してしまうことが分かっています。でも日本の杉は違う。切ってもまた生えてくるのです。おまけに杉を使うことが森を守ることにつながる。杉を切ったところは、本来の形、雑木林に戻していくのも良い。杉が使えるようになるまで植えてから50年。50年サイクルの畑と考えればよいのです」

岡田社長は自らイタリアに渡り、杉の現状を説明しマーリを説得することに成功します。 「やっと彼は『俺が杉プロジェクトの看板になろう』と言ってくれた。使命感を感じてくれたのです。我々が研究していた圧縮技術に関心をもってくれたことも、このコラボレートが実現した一因です」

こうして、『エンツォ・マーリが取り組む100万の1万倍もの日本の杉』のプロジェクトが始まり、2年近い歳月を費やして、『HIDA』シリーズが誕生しました。杉を全面的に押し出した20数点におよぶアイテム。堂々とした節が、私たちに語りかけてくるような家具です。2005年、イタリアのミラノ・サローネで発表されると、各国の建築家やデザイナーが賞賛し、大きな話題を呼びました。

岡田社長は、マーリとの出会いを「運命的」と表します。マーリも同様に「飛騨産業との出会いは最高の出会いだった」と、多くの場で語っています。マーリにとって、飛騨産業との出会いとは、森との出会いであり、何より職人との出会いだったのです。

「イタリアにはすでになくなってしまったものづくりの心が、飛騨産業にはまだ残っている」と、マーリは驚きを隠さなかったといいます。技術とデザイン、そして岡田社長とマーリそれぞれの情熱がうまく噛みあったことに加え、飛騨産業という会社が職人の技を大切にしてきた会社だからこそ、実現したプロジェクトなのだということが分かるエピソードではないでしょうか。

『HIDA』ブランドのロゴを掲げたショウルーム。ロゴももちろんエンツォ・マーリのデザインです。飛騨から太陽が昇るイメージだそう。

倉庫を改装して新たに作られたショウルームには、マーリデザインの家具が並びます。

強度を必要とする椅子の脚などにはスチールやブナが使われているものも。日本の生活スタイルにすんなり溶け込む家具ばかりなのは、マーリがそれだけ日本の生活スタイルをイメージしたからなのでしょう。

家具は工業製品ですが、飛騨産業の家具は人の手が作り出しているものだということが、工場見学をして良く分かりました。職人さんの技なくしては、誕生しません。彼らのもの作りの姿勢が、常に職人の仕事を尊重してきたマーリの心を動かし『HIDA』のプロジェクトが実現したのです。「職人の顔が見えるメーカーであり続けたい」という岡田社長の言葉。工場の見学も可能です。

HIDA  http://www.em-hida.jp/

目次へ移動 環境保全と経済を両立させる

岡田社長の言葉に、心に留めておきたいものがありました。
「経済行為なしには、社会はなかなか変わらない」
社会を良い方向へ変えるために、経済行為はアクセルの役割を果たすということです。

飛騨産業は、長年培ってきた伝統技術から新技術を編み出しました。それだけでも注目に値しますが、世界的に有名なデザイナー、エンツォ・マーリが加わったことで、さらなる話題をさらうことに成功しました。彼がひとつのメーカーから、一度にこれほど多くの作品を発表したことはありません。世界中のメーカーやデザイナーが、驚きの目でこのプロジェクトに注目したのは当然のことかもしれません。

「杉とはこんなに素晴らしい材、こんなに素晴らしい活用の仕方があるんだ、とまずは注目してもらいたかった」という岡田社長。注目が集まる、ということは経済行為が動き始めた証拠です。

圧縮された杉の家具は、触感にはそれほど柔らかさを感じさせません。しかし、見た目はとても柔らかく温かい。その家具を使うことで、環境保全に一役買える。使う人の気持ちまで温かくしてくれそうな家具です。まずは、椅子を一脚。そんなことを思いつつ、高山の地を後にしました。



杉本あり 略歴
大学卒業後、出版社勤務を経てイタリアへ留学。インテリアデザインを学ぶ。イタリア滞在中に学んだことは、デザインと生活は密接な関係にあるということ。 エコ・デザインなど「暮らし」と「デザイン」をテーマに取材・執筆をしている。
著書に 「イタリア一人歩きノート」「イタリア一人暮らしノート」(大和書房) 「フィレンツェ 四季を彩る食卓」(東京書籍)「ゆるライフのため息」(PHP研究所)など。

取材:杉本あり
写真:Think the Earthプロジェクト 上田壮一

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