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いにしえの雑穀が教えてくれるもの 〜岩手県二戸・高村英世さんの有機雑穀|地球リポート|Think the Earth

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from 岩手 vol. 44 2009.02.17 いにしえの雑穀が教えてくれるもの 〜岩手県二戸・高村英世さんの有機雑穀

食物繊維やミネラルが豊富という雑穀。「未来食」などとも呼ばれている雑穀ですが、実はアジアやアフリカで紀元前3000年くらいから栽培され、食されていたという古い食べもので、今でもインドやネパールを始め、多くの国で食べ継がれています。

日本では昭和30年代以降、雑穀を日常食として食べる習慣はめっきり少なくなってしまいましたが、二戸のある岩手県北(けんほく)は「やませ」という冷たい偏東風の影響で米が育ちにくく、昔から先人の知恵で栄養たっぷりの雑穀レシピがたくさん伝えられてきました。炊くだけでなく、粉にしてしとねたり(こねたり)、蒸したり—。厳しい気候の中で生き続けるために培われた知恵とたくましさ。東北の農業人としての誇り。雑穀を通してさまざまなものが見えてくるように思い、冬の二戸に向かいました。

目次へ移動 お米よりも先輩の雑穀

雑穀。調べてみると、イネ科で小さな実をつける穀類を総じてそう呼ぶのだそうです。米や小麦のように主食でない、食べる機会の少ないといった意もあるようです。ですから、ハト麦や大麦、古代米や赤米、また、イネ科ではありませんがソバや豆類、ゴマなども雑穀の仲間です。

高キビ/写真提供:高村英世

日本では縄文時代の約5000年前からアワやヒエ、キビといった雑穀や木の実などを工夫して食べこなしてきました。稲作が伝わったのが3500年前と言われますから、雑穀の方がかなり先輩だったわけです。

例えば、国内有数の産地として知られる岩手では、主に次の5つを五穀と呼んでいます。

【アワ】イネ科。原種はエノコログサ(ネコジャラシ)とされる。原産地はインドからアフガニスタン。もち性とうるち性がある。

【キビ】イネ科。原産地は中国、またインドから中央アジアとされる。もち性とうるち性がある。

【ヒエ】イネ科。日本起源説が有力。うるち性が主流だが、もち性もわずかだが見つかっている。

【高キビ(モロコシ)】イネ科。アフリカ原産。中国ではコウリャンとも呼ばれる。赤茶と白のまだら模様が特徴。

【アマランサス】ヒユ科。原産は中央・南アメリカとされ、アンデスの山岳地帯で先住民族が栽培。

現在、全国の雑穀作付面積はソバなどを加えると多くなるのですが、前出の五穀に関しては549ヘクタール(2004年)。ピークの明治25年(1892年、ヒエ・アワ)、大正3年(1914年、キビ)を2004年の生産量と比較するとヒエが230分の1、アワは5000分の 1、キビが290分の1まで落ち込んでしまっています(財団法人農産業振興奨励会のデータ参考)。最近の雑穀ブームで需要は高まっていますが、国産品は高価なために輸入量が急増中。現在日本で流通している雑穀は95%が輸入品。国産は何と5%に過ぎません。

 同年以降の統計は出ていません。

目次へ移動 ちっちゃな種が2メートルに!

アマランサス畑の風景 写真提供:高村英世

私が雑穀の生産で知られる岩手県北の二戸に行ってみたいと思ったのは、一枚の写真がきっかけでした。それは、真っ赤な穂をつけたアマランサスの写真。
雑穀の中でも飛び抜けてちっちゃな実とは対照的に、鮮やかな穂の色はまるで南国の植物のよう。

しかも、背丈は2メートルもあると知り、びっくりしました。そのとき雑穀の小さな粒に秘められた生命力の強さを同時に感じとったような気もしました。

写真を見て、畑を実際に見たい気持ちが高まりました。岩手県は雑穀の生産量の約7割を占め、中でも二戸は主力産地として知られています。

目次へ移動 高村さんを訪ねて

有機雑穀農家の高村英世さんを訪ねたのは2009年1月末。高村さんは有機雑穀生産グループ「伊加古(いかこ)五穀の会」の立ち上げにかかわるなどして、二戸の「雑穀ルネサンス」をけん引した人です。

高村さんは、北岩手古代雑穀代表として仲間や県内の大学教授と栽培法や機能性について研究したり、県外で話をしたり、地元の子どもたちを畑に招いて食育や環境の授業をしたり、二戸の雑穀の「顔」として忙しい毎日を送っています。

とっても仲の良いご夫妻、高村英世さんと民子さん

目次へ移動 伝統食のおもてなし

奥さんの民子さんが二戸の郷土料理でもてなしてくださいました。

昆布以外、すべて二戸産。右手前から(時計回りに)ひっつみ、雑穀ご飯、ひき昆布、カブの漬物、アユ、とろろ。「ひっつみ」は、薄く伸ばした南部小麦の生地をつまむ(ひっつむ)ことから

「岩手の県北は伝統食の宝庫」と高村さん。民子さんが思いつく名前をあげていきます。「このひっつみに、ひなまんじゅうでしょ。おもちだったら、かますもち、くしもち、しとぎ--」。「まだまだあるよ」と高村さん。この土地に根づく食の豊かさを感じました。 特においしくてびっくりしたのが、雑穀ご飯。アワ、ヒエ、キビ、アマランサスが絶妙にブレンドされた高村さん自家製のご飯ですが、こんなおいしいご飯は食べたことがないと思うほどふっくらしていて、やさしい味でした。

へっちょこ

郷土食として有名な高キビの「へっちょこだんご」も最後にいただきました。ユニークな名の由来は、秋作業が一段落した庭仕舞(にわじまい)に「へっちょこはかせやした(ご苦労かけました)」と食べたことから来ているとか、あるいは、作るときにだんごの中央をへそみたいに指で押すから、など諸説あります。

「伝統食はすべて神様へのあげものなんです」と高村さん。「へっちょこだんごでも、ひっつみでも。山の神やおしら様()、いろんな神様がいます。今でも月に一度は神様の日があって、お米のご飯と伝統食をあげてからいただくことが多いです」

食に対する二戸の人たちの真摯(し)な心に触れ、身が引き締まるような思いがしました。

 おしら様 東北地方で信仰されている家の神で養蚕の神、馬の神などと言われる。

目次へ移動 1000年以上続く循環型農業

北岩手の伝統食は、昔から長く続いていた農業の在り方と深く結び付いています。

コンバインなどを導入した近代農業が広まるまで、この地方の農家は馬を大切にしていました。馬がいることによって堆肥がとれ、田畑を耕し、重い荷を運ぶことができます。また、ヒエの殻は馬のえさになります。当時の人間の主食はヒエでした。「馬とヒエと人間」という三位一体型の循環型の農業は、何と 1000年以上も脈々と受け継がれていたのだそうです。

ヒエ畑/写真提供:高村英世

そして、ヒエ、麦、大豆という二年三毛作も1000年以上続いていました。世界的に見てもそれだけ長く続いた輪作体系は例がないと言われています。

十和田の火山灰地で窒素やリン酸、カリなどを足さないと作物が全く育たない土地も、豆科の作物の後に雑穀を植えると窒素が豊富な土になります。また、馬の堆肥を少し入れるとヒエがたくさん実ります。昔から続いた輪作の知恵は、実はとても理にかなったものでした。

目次へ移動 近代農業と農薬

高村さんは当初から雑穀農家ではなく、しばらくは野菜農家でした。「私は親の生活をよく見て育ちました。食事はヒエ飯と干し菜汁と塩魚がちょっと。ヒエが入るとご飯が真っ黒く見えます。昔のヒエは蒸して太陽に干していたから黒ーくなるんですよ。私は貧しい生活だと思って否定しておったんです」

一時は芸術家を夢見ていた高村さんは「美術の学校へ行きたい」と家族に打ち明けますが、農家の長男は後を継ぐことが当然の時代。高村さんは県立浄法寺営農高等学園へ進学します。

印象派が好きという高村さん。昔ながらの農村風景「ヒエ島」は、モネの積みわらを思い出します/写真提供:高村英世

ヒエ島ヒエ島は、縄文時代晩期(蝦夷<えみし>の時代)から行われてきたヒエの自然乾燥法。実を日に当てないよう茎の中に織り込んであります。茎や葉の養分が実に集まり、栄養価も糖度も増していきます

農業学校で学んだのは機械を導入し、化学肥料と農薬を使って効率的に収量を上げ、売り上げアップを目指すいわゆる近代農業。高村さんは学校で教わった農法での野菜生産に心血を注ぐようになります。

ところがそうした生活を20年以上続けた1987年のこと。高村さんは、農薬散布の影響と思われる症状が肝臓に深刻に現れ、倒れてしまったのです。

「農薬をやめたいと思ったのですがやめられない。虫が野菜を食ってしまうから。ピカピカの野菜でないと市場では売れないんです。挑戦してみてもなかなか農薬から離れられない時代でした」

目次へ移動 再び訪れた雑穀との縁

耐性ができた虫にはより多くの農薬が必要です。体調が思わしくない高村さんにとっては悪循環が続きました。健康を立て直し、一家を支えるためには、何とか別のやり方を模索しなければなりませんでした。方向性に悩んでいた高村さんの前に改めて現れたのが地元の雑穀でした。

秋になると直売所に「イナキミ」と呼ばれるキビが並びます。中山間地では、おばあさんたちが昔から変わらない堆肥を使った農法でキビを育てていました。それほど気にも留めていなかったキビが、実は古米に混ぜて炊くと新米のようにおいしくなるし、体にも良い、非常にパワーのある食材であることを知るのです。

キビ畑/写真提供:高村英世

1993年、地域おこしの一環として雑穀を使った伝統料理の勉強会が行政と市民の協働事業としてスタートすることを聞き、高村さんは民子さんに参加するように促します。3年後、事業の終了年に高村さんが一念発起して立ち上げたのが伊加古五穀の会でした。

都会にはアレルギーやアトピーで米や小麦を食べられない子どもたちがいて、安全でおいしい雑穀を切実に求めているという事実に高村さんは耳を傾けます。「そうした親子の力になれるよう安全でおいしい雑穀を届けたい」。時代が有機の雑穀を求めていると直感した高村さんは3年の転換期間を経て、日本初の有機雑穀を名乗るのです。二戸市が東京都との有機農産物等流通協定を結んだことにより、都内での販売を実現させます。

目次へ移動 前例のない有機 手間と苦労

岩手の冷涼な気候は無農薬栽培に適しているのですが、それでも有機認証を持続するためには並々ならぬ努力が必要です。小型の雑穀刈り取り機は西澤直行・岩手大学特任教授の協力で開発されていますが、地道な手作業に頼らなければならない部分もまだまだたくさんあります。

二又枝の道具「まどり」を使い、種をとります。昔は脱穀もこれで行っていたそうです(左上下)。キビは「はせ掛け」をして自然乾燥させます(右上) 写真提供:高村英世

小さな異物(ピンセットの間)などを取り除く作業。目と肩が疲れますが、高い品質を維持するためには、外せない工程です

雑穀の背が数メートルと高いのは、野生の姿に近いから。イネも、もともと同じくらい背高ノッポだったそうです。現在、田んぼで1メートルほどの高さにきれいにそろっているのは、機械での収穫を容易にするため。人間が品種改良を重ねた結果だそう/写真提供:高村英世

「アワは連作するとアワノメイガという虫が茎を食べてしまう。それを防ぐには農薬をかけるのが簡単ですが、二戸では少々収量が減っても農薬を使いません。キビには除草剤が効きますが、それも使いません。手で草を取ります」

こうした地道な作業の継続こそがおいしさを蓄積し、遺伝させていきます。「とにかく畑を見てくれ」と繰り返し主張する高村さんの情熱が伝わります。

雪に覆われた高村さんの畑。3.5ヘクタールのうち、2ヘクタール弱が有機。オレンジの看板は有機認証の畑であることを記したもの

目次へ移動 高村さんの反省と気づき

高村さんたちが有機雑穀を売り始めたころは、まだ世間の関心も低く、(ご本人曰く)「笑っちゃうほど」売れなかったと言います。

そのころの高村さんを支えたのは、重いアトピーやアレルギーの症状に苦しむ子どもを持つお母さんたちからの「かゆみが止まった」「膿(うみ)が治った」という喜びの声でした。

また、岩手大学農学部の西澤直行特任教授との雑穀の共同研究も高村さんを勇気づけました。おばあさんたちが口承で伝え続けてきた「体に良い」が、データとして裏付けられ、雑穀の高い栄養価と機能性が次々に証明されたのです。例えば、ヒエ、アワ、キビのたんぱく質には、善玉コレステロールである血中の高密度リポたんぱく質(HDL)コレステロール濃度を上げる働きがあることなどがわかっています。

最新の研究では、二戸地方在来種のヒエがHDLコレステロールやアディポネクチンなどの数値を改善し、動脈硬化やメタボ予防につながること、また、血糖値の上昇を緩やかにすることなどがわかり、その実験結果が2009年2月20日付の岩手日報で報道されました。

ヒエをまいて、草を刈って、馬を飼って、ヒエを刈って--。高村さんは、若いときには否定していた親の農業の偉大さに気付いていくことになります。「よくよく勉強したら年寄りとかおやじとかが苦労したことが順々と私の体から噴き出してくるんです。私がその価値をわかっていないだけだった。それが、自分の人生を反省するきっかけになりました。後半の人生は環境と健康と安全、これでいこうと。昔のまじめさこそが最高の未来の食の安全につながっていることが身にしみてわかったんです」

紅葉した秋の畑、棚にかけられた高キビ。どちらも息をのむような美しい風景です/写真提供:高村英世

高村さんはこう言います。「自分の論理を適応させるのでなく、自然状況に適応していかなければ。まず自然を認め、人間として一生懸命知恵を出し、自然と調和しながら生きていくということをしないとだめですね。農業には矛盾がいっぱいありますよ。でも、それは生死の矛盾そのもの」

目次へ移動 地元の子どもたちと

高村さんは1998年から地元の中央小学校の子どもたちを畑に招いて農業体験や食育、環境の授業を行っています。田植え体験で、裸足で田んぼに入ってもらうのは、トロトロとした有機の感触を理屈でなく、柔らかな感性で感じ取ってもらいたいと願っているからです。

氷河期の生き残りと言われる長寿の「カワシンジュガイ」が近くの馬渕川に生息し、卵のうを守る珍しいクモ「オオトリノフンダマシ」が見られるのも高村さんの畑ならでは。子どもたちは有機の畑を取り巻く環境には貴重な生態系が生息できることを学びます。

(左)5年生が作る有機栽培のお米は、作業工程のかかし(子どもたちの手づくりです)が完成作(非売品)のシールになっています。(右)子どもたちの感謝状です

目次へ移動 今後の夢

今後は「食の提案」にも力を入れたいと高村さん。二戸のおばあさんたちが知るたくさんの伝統食レシピを今のうちに次世代につなぎたい、そんな思いがあるようです。

2009年2月8日、食の提案をテーマにしたユニークな雑穀イベントが東京都渋谷区広尾のイタリアン・レストラン「アクアヴィーノ」で開かれました。

二戸の雑穀と久慈(くじ)特産の山ブドウを人気シェフがオリジナルコースにアレンジするという企画で、主催は岩手県二戸地方振興局と同久慈地方振興局。コーディネートを手がけたのは、「食財」のプロモーションを行うグッドテーブルズでした。

会にはゲストとして高村さんと、昨年12月まで二戸駅構内の雑穀茶屋「つぶっこまんま」を切り盛りしていた安藤直美さんが招かれました。

安藤さんはお子さんがアトピーだったことから食生活を見直す中で地元の雑穀の良さを再確認。高村さんが取り組む有機雑穀を食の面から応援しようと、郷土料理の普及やアレンジの提案に熱心に取り組み続けてきた方です。

山本謙治さん(左)安藤直美さん(右)。司会を務めたのはグッドテーブルズの山本謙治さん。農産物流通のプロである通称「やまけん」さんは、高村さんや安藤さんとのお付き合いも長く雑穀についても博識

日高良実シェフ「雑穀の食感をどう活かすかをポイントにメニューを考えた」と日高良実シェフ

二戸の雑穀が見た目も味も抜群のイタリア料理に大変身!

安藤さんに感想を伺いました。

試作のときから日高先生の作品は全く違和感がなくて不思議に思っていました。でも、それは昔ながらの作り方と昔ながらの調理法がベースにあってアレンジしているからだと気づきました。イタリアにもソバがあるし、パスタがあるし、昔から雑穀が食べられているということでは二戸と共通点がある。こうやって今後もいろんな形でコラボしていければ楽しいですね。若い人たちが雑穀を食べてくれれば次の世代につながります。

雑穀の基礎知識についても「やまけん」さんがレクチャーを行いました。以下はその一部です。

  • 雑穀は輸入1万トンに対して国産がたった660トンほど(2004年)しかなく、国産はとても貴重。
  • 二戸地域は有機でなくとも生産者側が全国的にも珍しい独自のブランド「雑穀生活」(写真)を立ち上げており、無農薬、土づくりでの一定量以上の有機物の使用、種子の限定など6項目を取り決めて質の高い雑穀作りに取り組んでいる。
  • 米には選別の機械などがすべてそろっているが、雑穀にはない。手作業の工程が多く、識別作業などに農家は大変苦労している。質の良い雑穀はきちんとした値段で買ってほしい。
  • (最後は安藤さんのアドバイスから)雑穀を米に混ぜて炊く場合は、一緒に研いだ方がヌカ分が流れておいしくなる。本当にいい雑穀であれば、少し置けば水に沈む。

知っているようで知らない雑穀の基本情報。ちょっとした工夫でおいしい雑穀がよりおいしく食べられることがわかりましたし、また、国産の有機雑穀がどれほど貴重かということも参加者の記憶に強く残ったようです。

おいしい食事を楽しんだ皆さんからは「食感がおもしろい」「普段の食事にもっと入っていていいと思った」「雑穀の可能性の広さを教えてもらった」などの声が聞かれました(右は「良いものは残していかないと、ですね!」と話していた料理研究家の藤野嘉子さん)

目次へ移動 終わりに

アクアヴィーノで開かれた二戸の雑穀イベントは半日で予定した30席が満席になるほどの人気だったそうです。メタボ予防、アレルギー対応食といった「特別なもの」でなく、雑穀に好奇心を持ち、できれば気軽に食事で楽しみたいと思っている人が増えているという印象を受けました。

雑穀の潜在能力はまだまだ未知数です。米に対し、カルシウム27倍、鉄分19倍、食物繊維25倍と飛び抜けて高い栄養価を誇るアマランサスなどはNASAが21世紀の主要食になると注目しているという話も聞きました。

そのように世界で雑穀が再注目される中、Japanese milletとも呼ばれる優秀なヒエを誇る二戸が、豊かな雑穀文化を次世代につないでいくためには、理解ある消費者の応援が欠かせません。「畑を見て違いを知ってほしい」というのが、きっと高村さんたちの本音でしょうが、まずは雑穀を買い求めるとき、産地をよく調べてみる、食べ比べてみる、まずはそんなことから気にしてみてはいかがでしょうか?



岩井光子 略歴
地元の美術館・新聞社を経てフリーに。2002年、行政文化事業の記録本への参加を機に、地域に受け継がれる思いや暮らしに興味を持つ。農家の定点観測をテーマにした冊子「里見通信」を2004年に発刊。地球ニュース編集スタッフ。高崎在住。

取材・執筆:岩井光子
写真:岩井光子・横山ゆりか(Think the Earthプロジェクト)
写真提供・協力:高村英世、グッドテーブルズ

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