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環境問題を語る人は、これまでは反企業、アンチマーケットでしたが、いまは「環境対経済」という構図から脱却しつつあります。個人の環境に対する憂慮を反映できない企業は、存続できなくなるはずです。既存の経済学を、環境に配慮しながら、なおかつ経済的発展をするというモデルに変えていかなければならないという考え方には賛成です。
現在の資本主義経済は16世紀から始まったと言われています。その近代資本主義が終わりつつある、あるいは既に終わっているというのが現在の状況です。このことは哲学者や未来学者が30年ぐらい前から言ってきたことですが、企業や国のレベルで実感できるようになってきました。しかも環境という面からだけでなく、様々な側面から産業資本主義は終わっているという認識が必要になってきています。いま我々が見ているのは、200年から500年に一度の大きな歴史の転換であります。この認識が非常に重要で、企業もこの5年から10年で大きく変わらざるを得ないと思います。
今までの企業というのは、オーガナイズすることによってある種の信用を獲得し、巨大な資金を調達し、大量生産をし、大量消費を促進する形でコマーシャルを流し、消費者に消費をさせ、そして大量廃棄を行ってきました。このような社会が16世紀から作られ、19世紀・20世紀にピークを迎えました。そして20世紀後半からこれが滅びつつあります。環境という側から限界がきたということと同時に、巨大な技術革新がおこっているということが一方であります。情報通信革命やバイオテクノロジーが大変な進展をしています。この強烈な技術革新によって、今までのような形での大量生産・大量消費を回避することが事実上可能になっています。消費者のニーズというものを、リアルタイムで受けて、ある種の注文生産をすることができる。また技術的にも、多品種少量生産をすることが可能になってきています。
現代の企業にとって必要なのは大量の人ではなく、技術、ブランド、情報です。経済が回復したからといって雇用が回復するわけではありません。むしろ企業は雇用を切ることによって収益を上げる形をとっています。いい大学を出て、いい企業に就職し、会社のために働いて、大量生産・大量消費の一角を担って、それで給料をもらって一生を終えるパターンは、これからはもうありません。これは19世紀・20世紀型近代産業主義の元での人間の生活のあり方でした。では、その余った人がどこに行くのか。そこで、新たにNGOやNPOのような組織が生まれてきています。いままでの企業とはまったく異なり、利益最大化(プロフィットモーティヴ)に必ずしも合意しない人たちがグループを作り、様々な活動を行っている組織です。これからは企業中心の社会からNPO中心の社会に変わって行かざるを得ない。これは「変わるべき」という話ではない。「変わらざるを得ない」という話です。
これから20年、30年先には企業のあり方はもちろんですが、人々の生活も大きく変わっているはずです。自分の属したい仲間とともに、自分のやりたいことをやりながら、自分の生まれた土地で自然とともに生活するというライフパターンに戻っていかなければならないのです。一極集中から分散型社会の実現です。

人々の価値観も少しずつ変わりかけています。特に日本のような成熟した先進国ではこれ以上物はいらないという感覚があります。みんなそこそこのものは食べているし、そこそこの立派なものは着ています。まあ、ちょっといいテレビを買いたいとか、ちょっといい携帯を持ちたいとか、その程度であって、物には完全に充足しています。そういう中で、実は個人の意識も大きく変わってきています。この大きく変わってきている意識をバックアップするようなシステムを企業、国、政治がどう作っていくのか。こうした新しいタイプのシステムを作っていく先端的なところに日本はいるのだということを意識しなくてはいけません。もちろんヨーロッパは、環境という意味ではとても進んでいますが、しかし我々もまた、非常に豊かに成熟した中産階級を中心とした社会を作ったわけですから、我々がある種の選択をすれば、新しいタイプの循環型社会を作ることができるはずです。
たとえば、日本は世界に類を見ない平和で美しい世界を構築した歴史があります。江戸時代は国という単位で250年以上にわたって平和を維持し、庶民が自然を愛で、しかも分権国家であり、循環型社会でもありました。この時代から学ぶことは多くあります。

実は、日本ほど一極集中が進み、急速に自然破壊を進めた国はありません。どこもかしこもコンクリート漬けにしてしまい、全体としての国の美しさをなくしてしまった。我々が醜くしてしまった。もともとは我々はそういう国民性ではなかったはずです。

岩手県の増田知事と一緒に“壊す公共事業”をやりましょうと言っています。川の護岸工事のコンクリートを全部はがしてしまいましょうと言っています。実は作るよりも壊す方がお金はかかります。しかしこういうことをそろそろやっていく時期がきているのです。それは当然自然に帰すということなのですが、いろんな意味で我々はやらざるを得ないところまで追いこまれています。また、やることができるステージまで来ているのです。国の形を変えなくてはいけない。これは日本だけではなく、世界的な問題です。それがそろそろできるような環境に来ているのではないかと思います。
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