thinkFace
thinkEye

考える、それは力になる

dogear

contentsMenu

地球ニュース

contents

2017.10.13 | 宮原 桃子

「54年後に現れた壁の下の伝言」 今、訪れたい広島の平和スポット

広島市の中心部にある市立袋町小学校で、古くなった校舎を建て替えることになったのは1999年。戦前に鉄筋コンクリートで作られた西校舎は、原爆投下後も唯一残った校舎でした。袋町小学校は、爆心地からたった460メートルの場所に位置し、当時疎開に行かずに残っていた1年生と2年生、教職員のほとんどが、一瞬にして命を失いました。形だけ留めた西校舎は、被爆直後から救護所として使われ、10カ月後には残された全児童37人で授業が再開されました。そして改修や補修をしながら、1999年まで校舎として利用されていたのです。

「袋町小学校平和資料館」に生まれ変わった旧西校舎。隣接している本校舎は、今も現役の小学校

西校舎に、被爆が残したものはないか。建て替える前に改めて確認作業を行ったところ、はがした壁の下から現れたのは、たくさんの伝言。当時救護所として利用されていた校舎の壁や黒板に、家族の行方を捜す多くの人が伝言を書いたことは、被爆直後に撮られた写真でわかっていたのですが、戦後の壁の塗り替えなどで消えたと思われていました。しかし、54年もの間、伝言は漆喰の壁の下に残っていたのでした。チョークで書かれた伝言は、被爆時のススや年月によって薄くなっていたため、さまざまな専門家によってコンピューター解析が行われました。

校舎の玄関横にある階段の壁には、多くの伝言が残されていた(写真中央および右手)。オリジナルの壁面部分には、被爆直後に写された伝言の写真も展示してある
壁面に書かれた伝言のひとつ。学校近くの病院に勤めていた娘を探す母が、「田中鈴江 右ノモノ御存知ノ方ハお知らせ下さい」と書き残している

 

焼け野原の中、小学校1年生の娘を必死で探す母の伝言。自分の消息を書き記したもの。学校の近くで働いていた妹を探す兄の伝言。先生が書き残した自宅の地図や住所。壁や黒板に書かれた伝言を目の前にすると、必死に家族や知人を探す人たちの気持ちが、生々しく蘇ってくるようでした。校舎の被爆した壁やドア、窓はそのまま保存されており、校舎の中にいるだけで戦争、そして原爆投下の臨場感が伝わってきます。ここを訪れた人は、きっと誰しも、もしも自分の家族や友人など大切な人の行方が分からなくなったら…と想像するでしょう。この貴重な校舎は、2002年に「袋町小学校平和資料館」に生まれ変わり、館内では生き残った先生や子どもなどの手記、被爆前後の学校や授業の様子を映した写真も展示されています。開館以来40万人近くの来訪者があり、私が訪れた時もフランスやアメリカなど海外からの旅行客がいました。

館内の様子。被爆した校舎のドアや窓(左手)がそのまま展示されている。壁も、被爆当時のまま黒いススが残る

広島市内には、もう一つ被爆した小学校が残っています。原爆ドームと川を挟んで向かいにある本川小学校は、爆心地から最も近い小学校でした。校長先生ほか10人の教職員と約400人の子どもたちが亡くなりました。鉄筋建ての校舎だけが被爆後も残り、その一部が「本川小学校平和資料館」として保存されています。今も現役の本川小学校内にある資料館は、学校が開いている日は訪問することができ(団体の場合は事前申込が必要)、校門のインターフォンを鳴らしてから入ります。私が訪れた時は、たまたま教室から平和の歌を歌う子どもたちの声が聞こえ、その平和な日常の瞬間に、被爆当時の子どもたちのことを想わずにいられませんでした。

現在の本川小学校には、平和な子どもたちの日常がある
被爆した校舎を保存し開放している平和資料館

被爆した校舎そのものである資料館に入ると、ススで汚れた壁や焼け焦げた配電盤、熱線で焼けたドアの枠などがそのままの状態で残されています。また、被爆後の校舎や授業風景の写真が展示されており、そこには懸命に日常を取り戻そうとする先生と子どもたちの姿がありました。当時の教室の様子を描いた手記には、このように記されていました。

「(前略)外にはなにひとつ見あたるものはない。窓は鉄のわくだけが、ひん曲がって残っているが、窓ガラスはかけらもない。寒い北風を防ぐために古むしろがつるされ、ゆらゆらとゆれているのが 胸にしみるように感じる。子どもが、寒さにふるえながらそれでも真剣に勉強している。どの児童も顔色が普通ではない。先生の服装は、男の先生は兵隊服、女の先生はモンペ姿である。どの顔もどの顔もなんだか枯草のような顔色に見える。(後略)」

保存されている校舎の地下部分
原爆投下から2年後の授業風景の写真

この他館内には、焼けただれたモンペや時計などの被爆した物、平和記念公園の原爆慰霊碑に刻まれている碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」の原文なども展示されています。また、終戦直後に学用品を寄付したアメリカの教会宛に、本川小学校の子どもたちが送った絵や習字の写真も展示されています。 原爆投下から1、2年しか経っていないにも関わらず、妙に和やかで楽しげな絵や、「広島市 緑の山」「平和日本」「米国のお友達」などと書かれた習字を目の前に、当時子どもたちがどのような気持ちで描いたのだろうかと想像し、複雑な気持ちになりました。

今回ご紹介した2つの小学校の資料館には、被爆時の人びとの悲惨な姿を直接的に映した写真や映像が展示されているわけではありません。しかし、被爆した校舎の中で、当時の人びとの伝言や被爆後に必死に生きる先生や子どもたちの様子や手記を目にすると、戦争や原爆が「一人ひとりの市民」の日常をどのように奪っていっ たのかを、ひしひしと感じます。戦争を知らない世代にとって、知識として戦争の恐ろしさは理解していても、感覚としてはどこか遠い、非現実的なものです。しかし、今も世界中で終わらない戦争、そしてこれから起こるかもしれない戦争を防いでいくために、一人ひとりが現実感を持って、反戦の想いを強く持っていくことが大切です。袋町小学校と本川小学校の資料館は、そんなことを改めて考えさせてくれる貴重な場所です。

広島と言えば、原爆ドームや平和記念資料館が有名ですが、こちらの資料館もぜひ訪問してみてくださいね。

宮原 桃子
宮原 桃子(みやはら ももこ) 地球リポーター

日本貿易振興機構(JETRO)に勤務後、フェアトレードファッション・ブランド「People Tree」にて、バングラデシュ・インド・ネパールでの衣服生産を支援する仕事に携わる。ドイツでの子育て生活を経て、帰国後は親子向けにフェアトレードを学ぶワークショップを企画する団体「フェアトレードガーデン世田谷」(本部・東京)を運営。フェアトレード絵本「ムクリのにじいろTシャツ」の筆者。現在は広島に暮らしながら、フェアトレードや環境、平和などのテーマを中心に執筆。 この社会を変えられるのは、私たち一人ひとりです!社会や世界で起きていることを「自分ごと」として感じ、考え、行動する。そんなきっかけになるような記事をお届けしたいと思います。

sidebar

過去の記事

すべて表示 +

アーカイブ

Think Daily 2000-2017

Supported by