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2017.12.20

プロジェッタツィオーネに学ぶサステナブルな創造力

批評家/アーティスト/演出家 多木陽介

2015年以来、これまで2回ほど、筆者の監修のもとイタリア有数の文化都市であるミラノ、トリノ、ボローニャ、その他各地を移動しながら、「イタリアンデザインの本質、プロジェッタツィオーネを学ぶ旅」という名目で短期間の「移動教室」を開催してきた。ここでは、この企画を立ち上げた動機についてお話しようと思う。

忘れられた言葉、忘れられた創造力

 「プロジェッタツィオーネ」(progettazione)という言葉は、直訳すれば「プロジェクト(progetto)を実践する行為やプロセス」を意味するが、近代デザインのメッカでありながら、「デザイン」という外国語が普及するのが比較的遅かったイタリアでは、その代わりに長らくこの言葉が使われていた。そしてデザインする、設計する、という動詞の代わりに「プロジェッターレ(progettare)」、また「デザイナー」の代わりに「プロジェッティスタ(progettista)」という言葉が使われていた。
 ただ、現在の消費文化の中で生産をひたすら助長するための戦略として利用されている現代のデザインとは、根本的に性格の異なる概念で、より社会奉仕的でより倫理的な使命感を持ち、企業の利潤よりは、人間の生存環境の改善を幅広い視点から探求し、そのためには、企業の生産方針に対して批判的な態度を取ることも辞さない(多様な分野の)人々の「活動原則」とでも言えるものであった。
 また、現在の工業製品に関わるデザイナーの大半が、商品価値を増すための最終的な外観のデザインを担当するのと異なり、プロジェッティスタたちは、社会の中に埋もれている問題や必要性を見いだすところから始め、多様な専門家と協働してあらゆる段階の作業を管理しながら最終的な成果の達成までの指揮を執る監督的立場にあった。

 産業革命とともに始まった工業生産を、一般市民の生活のために活かすために生まれて来た近代のデザインだが、イタリアの場合、戦後に登場するイタリアンデザインの父、ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)、アキッレ・カスティリオーニ(1918-2002)、そしてエンツォ・マーリ(1932-)らの世代までは、このプロジェッタツィオーネの概念は明確に認識されていた。
 彼らは、一方で近代的な知性によって極めて合理的な思考を押し進めると同時に、どこか前近代の工房的世界とも縁を切らず、その温かい物作りの中で、生産原理を越えた人間的価値の重要さを決して忘れない反省的思考(=これをやって良いのか?)を保持していたから、そこでは、近代的知性と前近代の世界の伝統の豊かな知恵が奇跡的なバランスで混じり合った創造力を発揮することが可能になっていた。
 しかし、20世紀終盤からいよいよ経済原理至上主義が強まった現代世界において、このプロジェッタツィオーネの残した素晴らしい遺産は、あいにく本家のイタリアでもかなり忘れられつつある。

 世界の様々な危機的状況(環境、社会、精神)への認識が強まっている現在、我々の一人ひとりが生活や仕事の中で日々いかなる創造力(これは、芸術家やデザイナーだけのものではない)を発揮するかが、人類、ひいては地球の将来に影響を及ぼすことが明らかになってきた。
 創造力はカタストロフィと表裏一体の関係にあり、一方で生きる糧を生み、美を創出するとともに、他方では環境を汚染し、原子爆弾をも生みだす。各人が、私的関心を越えて、人類のため、地球のために、いかなる創造力をこれからの世界で発揮していくことが望ましいかと考えることが、もはや不可欠となっている現在、近代技術文明の申し子でありながら、同時に伝統世界を越えて人間性や生命ともつながるプロジェッタツィオーネの方法と精神の中には、危機の時代を乗り切るために極めて有効な創造のモデルの一つが見いだされるのだ。筆者がイタリアでなおも正当なプロジェッタツィオーネを実践する人たちを訪ねて歩く移動教室を発案した最大の動機はそこにあった。

「退行」する創造力=まずは自明な現実を疑う

 当時のプロジェッティスタたちが共通に持っていた最大の特徴である反省的思考は、現状を鵜呑みにせず、まず疑ってかかる彼らの態度の中で発揮された。
 たとえばコップをデザインしようとする場合、その色と形を考えたり、模様のパターンを考えたりする前に、まず、液体の容器として我々が当たり前に受け入れているコップという製品のタイポロジー自体をこれで良いのか、もっといい解決方法はないだろうか、と問い直すところから始める。つまり、前進する前に必ず一度後退しながら、一見自明な現実を疑い、問題を最も根本的なところまで掘り下げるのである。
 プロジェッターレ(progettare)という動詞が「前方に(pro)+投射する(gettare)」という語源をもつように、彼らにとっては、自分たちの仕事が生活に進歩をもたらすことが、決定的に重要な意味をもっていたにも関わらず、真のプロジェッティスタたちは、ただ前へ前へと先を急ぐのではなく、一度退行してから前進するというか、後ろを見ながら前進するというか、常に前後2方向のベクトルを備えた創造力を発揮していた。

 スマホの製造ではトップにある某企業のデザイン部で授業をした際に、この話をしながら、「皆さんは、この退行しながら前に行く、という形での創造はされますか」と聞いたことがあるが、その時の回答は「我々は、ここまで培って来たノウハウの蓄積がありますから、そこから先に行きます」というものだった。つまり、そこまで積み重ねてきたものをあえて基礎から疑ってみる反省/退行の視線はもたないのだ。本来なら、スマホの新機種を開発する前に、「確かに便利だが、これが本当に人間の生活のために良い道具なのか?」、「人間的なコミュニケーションとして、正当なものだろうか?」と人類学的、社会学的なレベルでも問いを発するべきなのだが、そのような内省の段階はここにはない。
 数億、数10億人の人間の生活パターンを根本的に変化させるような製品を売り出すことにおいて、本来ならそれくらいの問いを自らに課す責任が企業にはあるはずなのだが、全くそうならないのは、彼らの最終目的が正しいコミュニケーションを生むことではなく、より多くの機種を売ることだからだ。
 もちろん、これはこの企業に限らず、現代の強烈な経済至上主義の圧力下にある大半の企業の製品開発の置かれた現状である。そこでは、ひたすら「前へ、前へ」と急かすベクトル(進歩のエネルギー)にひっぱられ、全ての生産活動が最大の効率で収益を上げるために猪突猛進するから、ゆっくりと「退行」するような余裕を持つことはまず許されない。
 だが、実は、現代の自然、社会、精神環境を脅かす危機的状況の最大の原因は、まさにこの「前へ、前へ」としか進むことを知らない文明の性質にあるのであり、だからこそ、この「退行」のベクトルをもつプロジェッタツィオーネという、忘れられた創造力を現代においてもう一度学び直す必要があるのである。

 カスティリオーニの場合は、この「退行」の要素を、一つひとつの物の起源へと遡るための観察と分析によって導入する。彼は、身のまわりのありとあらゆる物に好奇のまなざしを注ぎ、それらのフォルムの下に潜む知性や社会的条件等、その物を成立させている主要要素=機能を論理的に読み解きながら、常に物に潜む創造の原点を探り当てようとしていた。
 例えば、サングラスというと、誰でも色のついた二枚のレンズを思い浮かべるが、この二枚のレンズという、いわば「名詞」のレベルから、その下に隠れる「目に入る光量を制限する」という「動詞」にまで辿り着くと、二枚のレンズという物理的制限から完全に自由になるので、「目に入る光量を制限しさえすれば」それをどんな形で実現しても良いことになる。このように、「名詞」から「動詞」へと「退行」し、創造の原点を発見することで、真に自由で十全な創造(プロジェッタツィオーネ)が可能になると思っていたようだ。
 この例からも言えるように、この「退行」というベクトルは、時間的には「後戻りする」ことだが、意味の上では、むしろ「根源に下降する」という比喩で説明する方が相応しい。つまり、一旦物事の根源にまで沈潜した上で、再浮上しながら創造するという(前後というよりは上下方向の)、二重のベクトルがプロジェッタツィオーネという創造力の中には流れていたのだ。

移動教室での学び

 移動教室の参加者たちには、是非この「退行」のベクトルを持ち帰って欲しかったのだが、どの講師たちもそれぞれの言葉と事例を通して、そのことを的確に伝えてくれた。
 「退行」の重要さを最も明解に教えてくれたのは、ブルーノ・ムナーリ協会会長であるシルヴァーナ・スペラーティ氏によるムナーリメソッドのワークショップであった。全員がA4のコピー用紙を渡され、この平凡な紙から一体どんな表現の可能性を引き出せるかという実験に丸一日を費やした。たった一枚の紙を折ったり曲げたり、切ったり、捻ったり、音を出したりしながら、「自明」と思っていたものの中から、どれほど豊かな可能性が見いだされたことか。これこそまさに具体的な創作に入る前の「退行」の身振りであるが、ムナーリによる創造は、常に目の前にある具体的な条件(素材、道具、状況、その時の精神や身体の状態、その他)を注意深く観察し、その可能性を調査し尽くすところから始められる。


ムナーリ・メソッドによる紙のワークショップ。一枚の紙のなかにある多様な表現を引き出す

 また、トリノの2地区で長年町づくりに従事し、全国的にも著名な組織ス・ミズーラのメンバーたちも、前へ、前へ、という資本の圧力の下で、すぐに古い建物を破壊して新しい建築物(ハード)を建てる巷の都市開発とは反対に、まず地区の現状を多角的に調査し、住民たちとの話し合いを繰り返し、彼らの間に良好な人間関係(ソフト)を構築するところから始めようとする。これもじっくり時間をかけた「退行」的な身振りである。
 彼らが近年両地区で整備した、民間運営の公民館と言える「地区の家」も、新築ではなく、それぞれ元公衆浴場や元印刷工場を改装した場所であるが、気取ったデザインなど微塵もない。それらの場所をいつも生き生きとさせている最重要ポイントは、運営メンバーたちの思いやりに溢れ、温かいもてなしの態度と努力にあるという。先の「退行」に加えて、この人間的なファクターも、すべての講師たちが共通して強調していた要素であった。真のプロジェッタツィオーネの中心にあるのは、資本でも技術でもなく、あくまで生身の人間なのだ。


サン・サルヴァリオ地区の「地区の家」は元公衆浴場(写真左)。バルテア通りの新しい「地区の家」は元印刷工場。素敵なカフェも全て廃品を集めた手作り(写真右)

 参加者たちは、短期間の研修ではあったが、デザイン、建築、出版、教育、図書館、町づくりなど、多様な分野のプロジェッティスタたちの仕事や人間性に触れることで、彼らすべてに共通する本質的部分を掴んでくれたようだった。
 2017年秋に大阪で行われた会合で過去2回の移動教室*に参加した方たちから聞いた話では、彼らの多くが、この移動教室に参加するまでは、ついデザイン界の情報やトレンドを追いかけることに躍起になっていたのだが、正当なプロジェッティスタたちの仕事を見て、そんなことが全く必要なく、もっとごく当たり前のことをじっくり自分なりに考えることが大事であることに気づいたという。何人もの参加者が、社会の中で知らぬ間に「前へ、前へ」というベクトルに押し流されていたことに気づき、自分のことをもう一度見つめ直す「退行」の視線を取り戻してくれたのは、我々にとっては大きな成果であった。

*2回の移動教室「イタリアンデザインの本質、プロジェッタツィオーネを学ぶ旅」は、大阪の産業振興センターであるメビック扇町の主催で開催された。
 第1回:2015年11月29日〜12月6日 ミラノ、モンテベッロ・デッラ・バッタリア、ボローニャ、トリノ
 第2回:2017年3月12日〜19日 ミラノ、トリノ、モンテベッロ・デッラ・バッタリア
移動教室で好評だったシルヴァーナ・スペラーティ氏によるブルーノ・ムナーリ・メソッドのワークショップがメビック扇町を会場に、2017年9月23日〜25日の3日間行なわれた。これも移動教室の1バージョンと言える。

プロジェッタツィオーネによる「歴史の創造力」の修復

 ところで、プロジェッタツィオーネが教えてくれた創造における「退行」の回復とは、建築やデザインの領域に限られた課題ではなく、実は、民族や人類の文明全般を越えて自然まで含めた、遥かに大きな、地球規模の創造力(それをここでは「歴史の創造力」と呼ぶ)のあり方にまで関わっている。
 なぜなら、今見たように現代世界が直面している「前へ、前へ」という極度に偏った創造のエネルギーの奔流が、実は、歴史の創造力の構成要素である自然、精神、技術文明(左図)の中の技術文明ばかりを過度に強大化させ、その下で他の2つが抑圧、搾取される状態を招いているのだ(右図)。そして、3者間のこの平衡の欠如こそが、現代の自然環境、社会環境、そして精神環境における由々しい危機の元凶である。
 21世紀を生きる我々の最大の使命は、文明自身のこの危険な創造力を安全なものに変容させること以外にない。これは、環境保全に携わる人、デモクラシーの危機を案ずる人、また個々人の精神的環境の悪化を憂える人が手に手をとって、ともに立ち向かうべき共通の課題である。
 そして、ここまで崩れ、危険信号を発している歴史の創造力を修復する一つの道が、プロジェッタツィオーネの中に見えている。それが教える「退行」のベクトルを文明の各分野に再注入し、平衡を取り戻したサステナブルな創造力によって、自然、社会、精神の各環境の危機的状況を治癒させることができるだろう。もちろん、それには、地域や民族、職能に応じて、実に多様な形があるから、各分野での具体的な探求が必要だが、いずれにしても、そうした探求にこそ、これからの時代を生きる一人でも多くの人間の創造力が注がれることを期待したい。


歴史の創造力の構成要素(左図) 歴史の創造力の現状(右図)
多木陽介

多木陽介(たき・ようすけ)

批評家/アーティスト/演出家
1962年生まれ。1988年に渡伊、現在ローマ在住。演劇活動や写真を中心とした展覧会を各地で催す経験を経て、現在は多様な次元の環境(自然環境、社会環境、精神環境)においてエコロジーを進める人々を扱った研究を展開。芸術活動、文化的主題の展覧会のキュレーション及びデザイン、教育活動、そして執筆と、多様な方法で、生命をすべての中心においた人間の活動の哲学を探究する。

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