thinkFace
thinkEye

考える、それは力になる

dogear

contentsMenu

地球リポート

contents

2018.10.02 | 柴田 大輔

「大地を守る人々」 麻薬と暴力から故郷を守る先住民族の取り組み

Think the Earthの書籍『未来を変える目標 SDGsアイデアブック』では、SDGs16番目の目標「平和と公正をすべての人に」の事例として、南米コロンビアの反政府ゲリラであるコロンビア革命軍(FARC)のメンバーに、「家へ帰ろう」とメッセージを投げかけた広告キャンペーンを紹介しました。
今回の地球リポートは、この事例の背景にあるコロンビアの先住民族が置かれた状況について、FARCによる武力紛争の最中から2016年の和平合意の後もコロンビアの人たちを見つめつづけているフォトジャーナリスト、柴田大輔(しばた・だいすけ)さんの最新フォトリポートとしてお届けします。

和平合意以降も不安定な状況が続くコロンビア


先住民族インガの人々が暮らす山々に、コーヒー畑が広がる ©︎Daisuke Shibata

2016年、南米コロンビアで反政府ゲリラFARCと政府間で和平交渉が合意に達し、52年に及んだ両者の武力紛争が終わりを迎えた。

しかし、和平合意以降のコロンビアの状況を見ると、社会格差など解決されない問題を背景に、麻薬取引を主な資金源とする複数の非合法武装組織が現在も活動を継続している地域がある。そこでは経済的な自立を模索しながらも、麻薬の原料となる違法作物栽培に依存せざるを得ない農村が未だ多く存在し、現在も不安定な状況が続く。

こうした地域がある中で2000年代前半に、住民自身の力で地域から違法作物と武装組織をなくした場所がある。先住民族インガの人々が暮らすアポンテという村だ。


自然の中で遊ぶアポンテの子どもたち ©︎Daisuke Shibata

コーヒーの里、アポンテ


収穫期を迎えるコーヒーの木々に熟した実がつく ©︎Daisuke Shibata

斜面を彩るコーヒーの木々に、赤い果実が豊かに実る。
アンデスの山々に抱かれるその農村一帯は、コーヒーの収穫を迎えると活気に満ちる。アポンテは、南米コロンビアの南西部、ナリーニョ県の北部に位置している。

1990年代始めから2003年にかけて、この山々にはコーヒーではなくピンクの花を咲かせるケシが栽培されていた。人々はケシの果実をカミソリで引っ掻き、切り口から溢れるミルクのような樹脂を集めた。樹脂は乾燥させると麻薬の一種アヘンとなり、その成分を抽出、加工すると、モルヒネやヘロインとなる。麻薬の原料としてのケシ栽培が地域経済を成り立たせていた。

ケシ栽培が最盛期を迎えていた2000年前後、現在5,000人ほどが暮らす一帯の山村に、3万人を超える人々が生活をしていた。ケシがもたらす利益を求め外部から大勢の人々がやってきたのだ。そこには麻薬経済を取り仕切る武装組織もいた。反政府ゲリラ、麻薬マフィア、右派準軍事民兵組織など、武力紛争の当事者たちがこの地の利権を争った。

住民は暴力に怯え、隣人への不信と不安が小さな社会を覆っていたという。現在の穏やかな風景から当時の様子を想像することは難しい。


かつてアポンテの山々を覆っていたケシの花々(文中とは別の地域で撮影) ©︎Daisuke Shibata

アポンテとの出会い

コロンビアにアポンテという村があることを初めて私が知ったのは2018年1月、首都ボゴタでのことだった。アポンテの人々が、ボゴタに新しくカフェをオープンさせたというニュースをインターネットで見た。その名は「Wuasikamas(ワシカマス) 」といい、民族の言葉で「大地を守る人々」という意味がある。


ボゴタにオープンしたカフェ「ワシカマス」で働く、インガ民族の女性たち ©︎Daisuke Shibata

ニュースではアポンテの物語が端的に紹介されていた。村の住民は先住民族であるインガの人々であること。住民自ら違法作物を除去し、麻薬経済、武装組織との関係を断ち切ったこと。代替作物としてのコーヒー栽培に成功したこと。また一連の地域活動が評価され、2015年、国連開発計画(UNDP)が持続可能な社会プロジェクトを評価する「赤道賞」を授賞したとあった。

私はその時、コロンビアで半世紀以上続いた武力紛争の背景を取材していた。訪ねた場所では今なお、麻薬経済に依存する地域が少なからず存在し、そこでは住民が様々な武装組織と関わりを持たざるを得ない状況が続く。同様の状況から脱したアポンテのニュースは興味深かった。私はそのカフェに行ってみることにした。

カフェ「ワシカマス」は、スペイン植民地時代の名残を残す歴史的建造物が密集するボゴタの旧市街にあった。国内外から多くの観光客が訪れるエリアだ。店の入り口には白と黒で彩られた民族の文様がお洒落にあしらわれている。入店すると香ばしいコーヒーの匂いに包まれる。私は席に着き、さっそくコーヒーを注文した。

すっきりとした店内にはパッケージされたコーヒー豆や特産の黒糖、民芸品の数々が綺麗にレイアウトされ壁面を飾っている。店内には観光客だけでなく、パソコンを広げ仕事をする地元のお客さんもいた。演出された都会的な雰囲気が「内戦」「麻薬」という物語を知らない人々も気軽に店へ招き入れているようだった。

注文したコーヒーが運ばれてくる。コロンビアでは砂糖をたっぷり入れて飲むのが一般的だ。ここではアポンテ産の黒糖を入れる。注文したコーヒーを飲みつつ、女性店員にお店について話を聞いた。彼女はクリスティーナ・チンドイさんといい、アポンテからボゴタへ店の手伝いに来ていた。彼女が大学生の時に書いたアポンテの歴史を記したレポートがある。この原稿を書くにあたって大変参考になった。

このお店は2017年11月にオープンしたのだという。まだ新しく手探りだが、地域と外の世界を繋ぐ窓口にしたいと話してくれた。

アポンテを訪ねる


アポンテで民家を訪ねると、地元産の温かいコーヒーに迎えられる ©︎Daisuke Shibata

一旦日本に帰国した私は、半年後の2018年6月に再びコロンビアに向かい、未だ紛争が継続する地域を訪ねていた。そこはコロンビア社会の周縁に据え置かれた地域と重なる。地域への政府の関心の低さから、道路や電気など社会インフラが不足し、住民が経済活動へ参加する条件が整っていない。貧困を抱える社会は、より効率のいい収入源として麻薬の原料となるコカ、大麻、ケシなど違法作物栽培に頼ってきた。地域の麻薬経済への依存が、麻薬取引を資金源とする武装組織の侵入と、彼らとの接触を生み、今も治安に問題を残す。

そうした現場を知る中で、私はアポンテに強い興味を持った。いったいどうして違法作物と手を切ることができたのか? 今の生活はどのようなものなのか? 私は実際に見たいと思い、7月にアポンテの地に降り立った。

アポンテの歴史

アポンテは標高1,700m〜3,000mに位置している。領域内の低地部ではコーヒー栽培が盛んで、4月から8月にかけてコーヒーの収穫期となる。私が訪ねた時も、収穫に臨む人々が忙しなく働いていた。

コーヒーの実を摘む手を止め群青の空を見上げると、木々を揺らす風音が聞こえる。高地の涼しい風が汗ばむ身体に心地よい。ここにいると、人の暮らしと自然との距離の近さを実感する。

アポンテでは、自治組織である地域評議会の経済部門を担当し、地域リーダーとして活躍するフェルナンド・ナルバエスさん、地域の小中高校が一貫となった「アポンテ・インガ農業教育学校」で秘書を務めるアニバル・ムニョスさんを中心に、住民から話を聞いた。


アポンテの自治組織で働く地域リーダーのフェルナンド・ナルバスさん ©︎Daisuke Shibata

現在アポンテに暮らす人々の祖先は、16世紀初頭に南西の方から移住してきた人々だといわれる。スペイン人の征服を受ける16世紀以前、南米大陸ではインカ帝国がアンデス地方を中心に大きな勢力を誇った。インカに属する人々がコロンビア南西部、現在のプトゥマヨ県にも暮らしていた。そこから移住した数家族が、アポンテに暮らすインガ民族の起源と伝わっている。現在も年配者を中心に話されるインガ語は、インカの言葉であったケチュア語から派生した。宗教はカトリック教徒が中心だが、アニミズムに基づく民族伝統の価値観を今も大切に受け継いでいる。

アポンテでケシ栽培が広がったのは1990年代はじめ。コロンビア全体では1980年代後半から90年代にかけてケシ栽培が定着したといわれる。背景には米国での需要の高まりとアジアでのケシ生産減少があった。

アポンテではそれまでトウモロコシや豆類など土地に根付いた自家消費作物を中心に栽培し、余剰分を市場に出していた。ケシは現金収入源の乏しかった山村に大きな利益をもたらした。

ケシによる収入は一時的な経済的豊かさを地域にもたらしたが、地域はそれで「幸せにはならなかった」と住民は振り返る。

ケシ栽培が広がったことにより、複数の麻薬組織が利権を巡りアポンテで対立した。この争いに地域が巻き込まれ、のどかな農村が緊張に包まれていく。さらに、変化はこれだけではなかった。

ケシ取引により景気が上がった同地へは、ケシ栽培や商売を目的とする人々など、武装組織以外にも外部から様々な人間が押し寄せた。「インガ民族」として同一文化の中で営まれていた小さな社会は急速に多様化し混乱した。習慣の違いによる衝突、先住民族である人々への外部の人による差別もあったと聞く。近隣住民の間に不和や不信が広がった。

また金銭を得たことで日常的なアルコール摂取が習慣化し、若年層のアルコール依存者が増え、他にも売買春、家庭内暴力などこれまでになかった問題が地域に広がった。他者への不信から護身用の銃を所持する人も増えた。アルコールも手伝い、小さなトラブルが殺人に飛躍することもあったという。自然環境も大きく変化した。より多くの収入を得るため無差別に森林を伐採しケシ畑を拡大させて農薬を撒いた。それにより急速に森が消え、土地が痩せた。

当時の状況について、アポンテの地域評議会で働くフェルナンドさんは「倫理が低下していた」と話す。生活環境の急激な変化は、人々に民族として積み重ねてきた価値観を見失わせた。不安の広がる地域から「避難民」として去る人が続出した。

地域再生へ

荒れた地域を改革するため、2003年に首長に就任したエルナンド・チンドイ氏が中心となり、違法作物への依存を断とうと住民間の話し合いが始まった。

きっかけとなったのは、政府が主導する違法作物からの代替え開発プロジェクト「Familia de Guardabosque(森林保護家族)」だった。このプロジェクトは、違法作物の自発的な除去に対して政府が一定期間、補助金を支払い、合法的な作物栽培への転作を図るというものだった。アポンテでは2004年から2006年にかけ、当時のレートで4万円前後が二ヶ月おきに各家庭に支払われたという。

違法作物からの転作は簡単ではなかった。麻薬取引を収入源とする非合法武装組織が反発した。この運動の先頭に立ったエルナンド・チンドイ氏は麻薬組織からの脅迫と、銃撃を受けた経験を雑誌のインタビューで振り返っている。また、直近の収入源を断つことへの反発は住民の中にも強くあった。ケシ栽培は、貧しい農村がようやく掴んだ収入源だったのだ。

それでもエルナンド氏を含め、地域の中心に立つ人々の「地域を本来の姿に戻さなければならない」という強い意志が、徐々に住民の間で共有されていく。2003年、地域会議で「ケシ栽培の禁止と除去」を最終的に決定すると、住民の手でケシの除去作業が始まった。

いざ違法作物を取り除くと、旨味を失った武装組織や地域外から来た人々は次々と去っていったという。帝京大学専任講師でラテンアメリカ地域を研究する千代勇一氏によれば、「森林保護家族」の補助を受けた農村は、栽培規模のさほど大きくない地域が中心だったという。アポンテにおいても、山間部の狭い土地だったためケシ栽培面積が小規模であり、得る利益ももともと少なかったことが、武装組織が早々にいなくなった背景にあるかもしれない。それでも住民の団結と行動により「自分たちの力で『平和』を掴み取った」という事実は、失った自信を回復させる大きな力となった。

同時に自治組織は地域のモラル回復につとめた。平日の飲酒を禁止し、週末にも21時以降の飲酒と酒の販売を禁止した。地域の治安維持には先住民族自警団(グアルディア・インディヘナ)と呼ぶ住民による自警団が当たり、住民主体の地域づくりが現在も進められている。

文化教育についても、徹底した。学校では制服を民族衣装に変えることからスタートした。「劣ったもの」「カッコ悪いもの」という自身の文化に対する子どもたちの意識を変えようとした。さらに、地域の大人が伝統農業、薬草栽培などを教え、民族言語教育にも力を注ぎ、失いかけた自然観、価値観を学び継承する場を作っている。「時間はかかるが、教育を重視している」と、アポンテの学校で秘書を務めるアニバルさんが話す。


民族衣装の制服で登校する子どもたち。校舎の壁画には「私たちの言語を大切にする」など、重視する価値観が描かれている ©︎Daisuke Shibata

誰もが安心して暮らせる社会へ向けて

アポンテは現在、政府の助成を受けスタートしたコーヒー栽培を主産業とし、ドイツへ向け年間43トン輸出している。その他にも国内向けにアボカド、パッションフルーツ、淡水魚の養殖にも力を入れている。ケシ栽培に比べ収入は減ったものの、アルコール、売買春、銃などに金銭を浪費した過去を考えると、手にした安全の大きさを実感し、質素だが満足のいく暮らしを送ることができているという。何よりも辺境にありながら違法作物なしでも生活を営めると世に示したことは大きい。


収穫されたコーヒーが、アポンテ産のパッケージとともに出荷されていく ©︎Daisuke Shibata

主産業のコーヒーのほか、アボカドなどの換金作物栽培にも力を注ぐ ©︎Daisuke Shibata

しかし前述したように、コロンビアでは今も違法武装組織の活動を許す地域がある。FARCと政府の和平合意のなかに、代替え計画への助成をともなう違法作物撲滅という項目が掲げられているが、うまく事が運んでいないことは、増加傾向にある違法作物栽培面積の推移を見れば明らかだ。

大学関係者がアポンテの近隣地域であるカウカ県で組織したNGO「コロンビア・ヌエストロ」が、コカインの原料としてコカ栽培をする農村へ赴き、麻薬経済からの経済的自立を含めた地域支援をしている。

そこでは伝統的な農法で有機栽培するコーヒーに対して、国外を含めた生産者同士のネットワーク作り、販路開拓、複合的な食料自給のシステム作りなど、これまでの歴史と文化に立脚した住民主体の社会作りをサポートしている。

違法作物栽培地は経済的に遅れた地域と重なり、政府機関の存在が希薄であることが武装組織の関与する余地を与えてきた。地域の安定のためには、まず政治による解決が不可欠だが、こうした市民による住民と信頼しあえる協力者の存在が不可欠だ。農村だけの力ではできることは限られる。

コロンビアの紛争を経た地域では、誰もが暴力のない世界を切実に望んでいる。誰もが安心して暮らすことができる社会を築くため、国内外を問わない継続的は関心と関与が求められる。


生まれ育った土地での、安心できる日常を誰もが望んでいる ©︎Daisuke Shibata

参考文献
千代勇一
(2008)「コロンビアにおける違法コカ栽培と政府の対策—なぜコカ栽培地は減少しないのか?」,『ラテンアメリカレポート vol.25 No.2』,p.29-41
(2013)「違法作物に翻弄される人々:コロンビアにおけるコカ栽培の実践とその政治性」,池谷和信 編『生き物文化の地理学』,p.121-142,海青社
(2014)「コロンビア農民の生存戦略ーーコカ栽培が人々の生活にもたらしたもの」, SYNODOS
Ana Cristina Chindoy Chindoy
(2015)REPRESENTACION IDENTITARIA DEL GRUPO DE MUJERES DEL CABILDO MENOR DE MUJER Y FAMILIA EN EL RESGUARDO INDIGENA INAGA DE APONTE – NARIÑO – COLOMBIA
Guillermo Andrés Ospina, Jorge Hernández Tinajero, Martin Jelsma
(2018)Poppies, Opium and Heroin: production in Colombia and Mexico, TNI
Daniela Cubillos Rojas
(2018)Hernando Chindoy: sembrar café en lugar de amapola por respeto a la tierra inga, El Espectador

関連するSDGs

  • SDGs Icon
  • SDGs Icon
  • SDGs Icon
柴田 大輔
柴田 大輔(しばた だいすけ) フォトジャーナリスト

写真専門学校を卒業後、フリーランスとして活動を開始。ラテンアメリカ13カ国の旅を通して、多様な風土と人の暮らしに強く惹かれる。2006年よりコロンビアで農村の取材を始めて以来、現地に都合で約4年滞在し、生活を共にしながら住民の側から見た紛争、難民、先住民族、麻薬問題を取材し、雑誌、web等で発表する。その他、ラテンアメリカの先住民族、日本の農村をテーマに撮影をしている。

sidebar

過去の記事

すべて表示 +

アーカイブ

Think Daily 2000-2017

Supported by